京とおうみ自然文化クラブ

「京(みやこ)とおうみ自然文化クラブ」は、認定NPO法人シニア自然大学校の京都府・滋賀県の地方組織です。 旧ブログは左下リンク集より閲覧できます。

 例会報告

例会 7月8日(水)「びわこ文化公園でのキノコ観察会」の報告

 晴れて30℃以上に暑くなりそうな中、びわこ文化公園で行われたキノコ観察会には講師を含めて会員15名一般1名の参加でした。講師として会員の土佐さんと菌類研究会の木村さんにはキノコの名前や説明をしていただき、会員の海老原さんと岡本さんにはキノコを採取していただきました。
 2日前に雨が降り、前日は曇りだったのでキノコもたくさん見つけられるかもしれないと期待して参加しました。最初に土佐さんから、この公園ではキノコは許可された人だけが採取できるなどの注意事項の説明があり、また「前日に下見した時は足場の置き場もないくらいできていたが今日は多くが朽ちてしまっている」との話があった。実際にのり面には朽ちた多くのキノコがあったが新しく生えたキノコもあったので期待して出発した。キノコを探しては説明を聞きまた質問をしながら進んだ。参加者の目もだんだんキノコを探す目になってきたのでたくさん見つかった。そのために1.6kmほどの距離で3時間近くかかった。また、見つけた特徴のあるキノコや後で同定するためのキノコを採取していった。
 食事後、採取したキノコを分類していただき、土佐さんや木村さんから資料を用いてキノコは菌糸と子実体からできていること、生態による分類(菌根菌、腐生菌、寄生菌)、胞子の状態による分類(担子菌、子嚢菌)、さらにDNA分類が採用されるようになって科が変わったりすること、例えばタマゴタケと思っていたキノコがサトタマゴタケとタマゴタケになるなど特定が難しくなったので、これまで通り形態分類で「タマゴダケの仲間」とするしかないとのことなどの解説があった。また、キノコはどんなところに生えていたか、見たり触ったり臭いをかいだり噛んだりすることも大切だと話された。
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・シイノキの近くで見つけたカワリハツなどはシイノキなどと共生しており、栄養をもらう代わりに窒素やリンを与えて木が大きくなるのを助けている共生菌(菌根菌)、枯れた木で見つけたハカワラタケは木を分解して森を綺麗にする腐生菌、トタテグモに生えるクモタケは他の動植物に寄生して養分を得ている腐生菌である。クモタケを見つけることができたが蜘蛛は吸収されてなくなっていた。
キアミアシイグチなどのイグチ科のキノコは傘の裏が管孔になっていて球形細胞を多く含んでいるので発砲スチロールのようにボロボロ取れてしまうが、イグチ科以外のカワリハツなどのキノコはヒダがあり子実体全体が繊維状の菌糸で構成されているのでもろくはない。
・猛毒のテングタケにはツバやツボがあることなどの説明を受けた。
・傘の上に落葉が乗っていたキノコはカワリハツに似ていたが、傘が開いてから柄が伸びるシロハツモドキだそうである。通常は柄が伸びてから笠が開くので傘の上には落葉は乗らない。
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 見つけたキノコは50種類以上で昨年よりはたくさん見つけることができた。キノコとは思えないシロソウメンタケナギナタタケシロスズメノワンテングノメシガイや「押し花(キノコ)」にできるハナオチバタケ、綺麗なハナガサイグチなどの変わったキノコも見つけられた楽しい観察会でした。   (文/三輪)

例会 6月11日(木)「宇治史跡巡り」の報告

 京阪宇治駅に10時集合。今日も暑くなりそうである。本日の参加者は会員45名と一般参加1名の計46名と大盛況となった。案内は木全さん、中林さんに御願いする。
 まずは「宇治橋」に向かう。今日は川の流れが速く、近くのモニタ-を見ると天ケ瀬ダムから放流していてその量は244m3/Sと表示されていた。宇治の地名や橋の由来について説明を受ける、橋を架けたのは「道登(どうと)」という僧で、地元の人が苦労しているのを見て架橋に取り組んだと伝えられる。
 ここで万葉集の紹介があり、宇治を詠んだ歌は18種、宇治川を詠んだ歌は16種あるとのこと。「もののふの 八十宇治川の 網代木に いさよふ波の 行へ知らずも」は柿本人麻呂の歌で寄せては離れる波がどこへ流れていくかわからないように、自分の行く末もわからないものだ。宇治川の情景と行く先の見えない不安を重ねた歌と説明された。  
 右岸をしばらく歩いて「法生院常光寺」に宇治橋の守り寺とされ、道登の功績を讃えた碑文が江戸時代に発見された「宇治橋断碑」が保存されていて日本最古の石刻文字として著名。
 「宇治神社」に向かう。檜皮葺の本殿は三間社流造。応神天皇の息子である「兎道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の元住居で父応神から天皇即位を懇請も兄仁徳に天皇即位を懇願しここで自死する。
 「宇治上神社(うじがみじんじゃ)」へ世界文化遺産で拝殿本殿は国宝。本殿は一間社流造の社殿が3棟あり平安中期創建で日本最古の神社建築。中央に応神天皇、向かって左に仁徳天皇、向かって右に兎道稚郎子を祀る。
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 右岸を歩いて「興聖寺」へ、曹洞宗開祖の道元が開いた根本道場である。境内に至る道は「琴坂」と呼び、心地よい水音が聞けた。法堂の天井に「血天井」の跡が確認できた。
 さらに吊り橋を目指して歩く。道中、参加者から「子供の頃、このあたりには列車が走っていた」との話があり、調べると、大峰ダム建設(1920年、現在は水没)の際に資材運搬用のトロッコ線が運行していた。ダム完成後は遊覧鉄道として京阪電車が1950年~1960年まで「おとぎ電車」として運行、列車は人気を集め行楽シ-ズンでは電車を待つ列ができるほどであったらしい。その後、南山城水害、台風で運行停止。その後再開も防災面で新たな多目的ダムの天ケ瀬ダム(1964年)が完成し水底に消える。
 「現れの滝」は雨の時は現れるらしいが、今日はかすかに流れている程度であった。
 「天ケ瀬(吊り)橋」を渡る、1942年完成で2020年にリニューアルされている。ここからの上流、下流の景色はなかなかのもの。
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 ここからは左岸を歩く。「蛍塚」、「宿木の古碑」、「花やしき浮舟園」などの説明を受け中の島へ木陰を探してここで昼食。午後からは「宇治川先陣争之碑」から。
 ここで平等院に行かれる方と別れて京阪宇治駅近くの「宇治川太閤堤跡」へ豊臣秀吉が伏見城を築城、同時に宇治川護岸工事を進めた跡が再現されている。
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 本日はこれで終了。暑さは我慢できる程度で、盛りだくさんの内容を興味深い歴史の話とともに楽しむことが出来ました。木全さん、中林さんには準備も含め大変お世話になり有難うございました。    (文/澤田章夫)       

例会 5月7日(木)「山科植物資料館と勧修寺を訪ねる」の報告

 五月晴れのさわやかな朝、午前9時30分、地下鉄東西線・椥辻(なぎつじ)駅に事前申し込みのあった会員42名が集合しました。今回は見学受け入れ施設の都合により、事前申し込み制での開催です。「山科植物資料館」に入館したところで会長の挨拶があり、例会が始まりました。担当幹事は澤田会長、大川内さん、そして私(岸本)の3名。植物の案内は大川内さん、その他の案内は会長と私が担当しました。
 セミナールームへ移動する途中にナギの木があるため、まず植物のナギと、今回集合した最寄り駅「椥辻」の地名について説明しました。「椥」の字は非常に珍しく、ここ以外ではほとんど使われません。セミナールームでは、資料館職員の方から資料館の成り立ちについて説明を受けました。1994年(平成6年)に開園した同館は、約2400坪の敷地に約3000種類の薬用・有用植物を栽培しています。敷地内にはミブヨモギ記念館、大温室、見本園などがあり、参加者は5班に分かれて職員の方々から詳しい案内を受けました。
 園内には植物名が丁寧に表示されており、分かりやすく展示されています。また、職員の方々の案内により、手で触れたり味を確かめたりと、一般の植物園とは一味違う体験ができました。私が参加した班では、最初は遠慮がちだった会員も、職員の「遠慮しないでどうぞ」という声かけに励まされ、キダチアロエなどの苦味のある葉を味わった後、口直しにカンゾウの根を勧めていただくうちに打ち解け、次々と質問が飛び交う和やかな雰囲気となりました。薬草園としてスタートした施設ですが、薬草に限らず幅広い有用植物について丁寧に説明いただきました。ご案内くださった職員の皆さまに厚く御礼申し上げます。
 昼食はセミナールームで持参の弁当をいただきました。昼食後の空き時間には、日本新薬の歴史や活動を紹介するミブヨモギ記念館を見学し、その後記念撮影を行いました。
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 午後からは日差しが強くなってきたため、日陰を選びながら休憩を挟んでの移動となりました。2班に分かれて資料館を出発し、住宅街を抜けて名神高速道路に突き当たります。歩道沿いではイヌムラサキなど珍しい草本の観察もできました。高速道路をくぐるとすぐに「名神起工の地」の説明看板が現れます。日本で最初に開通した高速道路は名神高速道路の一部区間であり、案内標識が青色なのは夜間の視認性を考慮したためであるなど、開業当時のエピソードも紹介しました。さらに山科川にかかる橋を渡り、勧修寺へ向かいました。
 「勧修寺(かじゅうじ)」は真言宗山階派の大本山で、醍醐天皇ゆかりの格式高い門跡寺院です。前庭でイロハモミジオオモミジの違いを観察したのち、本堂前の勧修寺型灯籠のある庭園へ移動しました。池泉回遊式庭園の氷室池では、カキツバタをはじめ、ハナショウブやハスなどの親水性植物を鑑賞できます。「いずれがアヤメかカキツバタ」と言われるようにアヤメ科植物は見分けが難しいのですが、見分け方について詳しい解説がありました。氷室池の端にある観音堂前でも記念撮影を行いました。
 続いて、隣接する塔頭寺院「佛光院」を訪ねました。ここは1953年(昭和28年)、大石順教尼によって再建された寺院です。順教尼は大阪堀江の名妓でしたが、1905年(明治38年)、養父の狂刃による事件に巻き込まれ、17歳で両腕を失いました。その後、苦難を乗り越えて出家し、画家・書道家として活躍し、犠牲者の追善と身体障害者の救済に生涯を捧げました。1968年(昭和43年)、80歳でその波乱に満ちた生涯を閉じました。
 すぐそばの「宮道神社(みやじじんじゃ)」では、玉の輿の語源とされる平安時代のロマンスを紹介しました。藤原高藤が鷹狩りの際に偶然出会った宮道弥益(いやます)の娘・列子(たまこ)の美しさに心を奪われ、紆余曲折の末に正妻としたという話です。二人の娘・藤原胤子(たねこ/いんし)は宇多天皇の皇后となり、その子が醍醐天皇となったことから「玉の輿」という言葉が生まれたと伝えられています。ここには胤子の兄にあたる藤原定方も祀られており、定方が詠んだ百人一首の歌「名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな」の歌碑があり、傍らのサネカズラを観察しました。
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 観察する植物や見どころも多く、午後は気温も高くなり参加者の疲れも見られたため、当初予定していた行程を短縮し、宮道神社で解散することとしました。終礼後、山科川を再び東側へ渡り、随心院の拝観を希望する方々と別れ、午後3時過ぎに地下鉄東西線・小野駅に到着しました。(文/岸本) 

例会 4月21日(火)「飛鳥の古墳巡り」の報告

 近鉄吉野線の飛鳥駅に集合。参加者は会員38名、一般参加3名の計41名。天気はうす曇りでウォーキング日和でした。出発前に案内役の山下さんから、「あすか」という呼び方で飛鳥と明日香の違いを教えていただきました。「飛鳥」は古代の都(飛鳥京)があった場所や、歴史的背景を指す際に使われ、「明日香」は1956年の3村合併で誕生した明日香村を指す行政地名です。
 10時過ぎに駅前を出発して西へ向かい、まず、歴史を感じさせる家並みの道の途中にある岩尾山古墳に立ち寄りました。7世紀の方墳で、唯一、石室内に入ることができます。石室内は意外と広く、岩の組み方が緻密で素晴らしかったです。
 しばらく歩くと、小高い丘の上に凝灰岩の切り石で復元された牽牛子塚(けんごしづか)古墳が見えてきました。八角形の古墳であさがお塚とも呼ばれています。八角形は飛鳥時代の天皇にのみ許された形で全国でも5基しかないとのことです。内部は凝灰石をくりぬいて左右2室になった石室とドーム型の天井から成り、2度天皇になった皇極天皇・斉明天皇とその娘が眠っているといわれます。
 見学後、東へ約30分歩いて文武天皇陵へ。文武天皇(42代)は天武天皇と持統天皇の孫です。宮内庁管理の立派な墳墓ですが、実際の墓は近くの中尾山古墳だとする説が有力とのことです。古墳の周りを歩くと遊歩道から眺める里山風景と時折聞こえるキジやウグイスの鳴き声がのどかで印象的でした。そのあとは近くの休憩所で昼食タイム。
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 午後は今日のハイライトの高松塚古墳へ。高松塚古墳は7世紀末から八世紀初めに造られた2段式の円墳で、昭和47年の発掘調査で石室内に色鮮やかな壁画が見つかりました。壁画は石室の東壁・西壁・北壁(奥壁)・天井の4面に存在し、なかでも西壁の女子群像は色彩鮮やかで「飛鳥美人」のニックネームで知られています。その後、壁画は現地で保存管理されていましたが、カビの発生のため取り出して修理されました。高松塚壁画館では当時の壁画の色や劣化の様子などを忠実に復元した壁画が展示されており、その模写技術に感動しました。
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 次に訪れた中尾山古墳は坂道を登り切った所にある木々に囲われた小規模な古墳ですが、本来の文武天皇陵と言われています。飛鳥時代終わりの八角形の古墳で、石室が90cm四方と狭いのは埋葬されているのが火葬骨だからと考えられています。そのあと坂道を下っていくと飛鳥歴史公園館に着きましたが、あいにくリニューアルのため休館中でした。ここで小休止のあと天武天皇と持統天皇の合葬墳墓を目指しました。
 しばらく車道を歩くと小高い丘の上に合葬墳墓が見えてきました。 この墳墓は八角墳です。天武天皇は兄の天智天皇の遺志を継いで中央集権国家の形成を推し進めました。持統天皇は天智天皇の娘で、天武天皇の皇后でもあったことから、天武天皇の亡きあと中央集権国家の確立に尽力しました。また、初めて火葬された天皇としても知られています。                                                             合葬墳墓の近くに大きなまな板状の石造物と、花崗岩をくり抜き中央が空洞になった石造物があります。鬼の俎(まないた)・鬼の雪隠(せっちん)と言われ、鬼が旅人を霧で迷わせ、捕らえて爼で料理し、満腹になったあとに雪隠で用を足したという言い伝えがあります。
 最後に訪れた欽明天皇陵は、明日香村では唯一の前方後円墳で、村内で最大の古墳です。欽明天皇陵のすぐ近くにある吉備姫王墓(きびひめのみこはか)の敷地内には、江戸時代に水田から掘り出された石造物4体があり猿石と言われています。7世紀頃の飛鳥時代の作と推定されています。
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 ここで本日の予定は終了し、飛鳥駅に戻って14時過ぎに解散しました。ところで、飛鳥の古墳というと高松塚古墳以外には石舞台古墳を思い浮かべますが、本日はこれまで知らなかった古墳を巡ることができて良い勉強になりました。  (文/讃良)

例会 4月6日(月)「洛西・タケノコの里を歩く」の報告

 晴れ渡ったさわやかな朝、阪急東向日駅に会員29名と一般参加1名、計30名が10時に集合し、担当幹事の讃良さんと澤田勉さんのあいさつでスタートしました。
 まず駅の北西方向にある物集女(もずめ)車塚古墳を訪れました。ここは乙訓(おとくに)古墳群の一つであるとされる古墳時代後期の比較的小さな前方後円墳で、淳和天皇の棺を運ぶ車を埋めた塚という言い伝えから「車塚」と呼ばれているそうです。
 その後、ゆるやかな坂道を進んで「竹の径(たけのみち)」に入りました。よく整備された竹林が両側に広がり、歩きやすい上り坂が続きます。「竹の径」には「竹穂垣」や「物集女垣」などの竹垣が美しく並び、サラサラと竹の擦れる音が涼しさを感じさせてくれます。ウグイスの透き通る声も聴こえ、風情たっぷりの道のりでした。
 途中、タケノコ掘りの様子を偶然見学することができ、専用の鍬を使って手際よく掘り出す姿に、皆さん思わず拍手を送っていました。坂を登り切ったところに洛西竹林公園があり、竹の径を背景に記念撮影を行いました。
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 竹の資料館では、エジソンが京都・八幡のマダケを使って作った電球の復元模型や、竹の伝統工芸品など多くの資料が展示されており、興味深く見学しました。屋外の生態園には、節が亀甲状に連なる特異な形状のキッコウチクや、黄金色に輝くキンメイモウソウなど、約110種の竹や笹がわかりやすく展示されています。また園内では、応仁の乱にまつわる百々橋(どどばし)や、旧二条城の石垣に使われた石仏群も見ることができました。皆さんからは「ここは空いているし、さわやかで本当に穴場だ」と大満足の声が上がっていました。
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 午後からは竹林公園内の子どもの広場で、さわやかな風と舞い散る桜を楽しみながら昼食をとりました。その後も竹の径の緩やかな坂道を下り、途中で寺戸大塚古墳(古墳時代前期・全長98mの前方後円墳)を通り過ぎました。竹の径を抜けた後は桓武天皇皇后陵に立ち寄り、さらに住宅地を進んで五塚原(いつかはら)古墳(古墳時代初期・全長91mの前方後円墳)近くの池の畔で小休止しました。
 その後、向日市文化資料館へ向かいましたが休館日のため見学はできず、先に進んで地元で有名なスーパーマーケット「神崎屋」に立ち寄りました。この時期はタケノコ堀りの最盛期で、高価なものから手頃なものまで多くのタケノコが並んでいます。全国的にも知られる長岡京のタケノコということで、ご家族へのお土産に購入される方もおられました。
 ここからは向日神社の桜を見に行く方と別れ、長岡京の大極殿跡がある公園で14時前に解散となりました。解散後も残ったメンバーで長岡京の朝堂院跡(現在の国会議事堂に相当する役割を果たした施設)に立ち寄り、ボランティアの方の解説を聞いた後、近くの阪急西向日駅から帰路につきました。
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 今回の例会は天候にも恵まれ、さわやかな竹林の風を満喫しながら竹について興味深く学ぶことができ、古墳群や長岡京の歴史遺跡をゆったりと散策して、心地よい疲れとともに帰途につきました。(文/岸本)