京とおうみ自然文化クラブ

「京(みやこ)とおうみ自然文化クラブ」は、認定NPO法人シニア自然大学校の京都府・滋賀県の地方組織です。 旧ブログは左下リンク集より閲覧できます。

行事報告

観察会 5月18日(月)「季節の植物観察/初夏の樹木と花たち」の報告

 ついこの間まで春爛漫の穏やかな季節だったのに、急に初夏を思わせる暑さ(最高気温34℃)となりました。朝の集合時間にはもう日差しが強く感じられ、急遽シマモミの木陰に移動して朝の挨拶を行いました。
 今月の案内役は、岡かおるさんと海老原緑さんです。参加者は会員31名・実習生3名の計34名でした。今回は海老原班の報告をします。
 優しく落ち着いた語り口で定評のある海老原さんですが、今日も優しい声で3つのテーマを提示されました。①京都東山の山々では、今はシイの木の花で満開。遠くから見ると、カリフラワーのようにモコモコとした花の姿が見られます。その姿を植物園でも観察します。②アヤメ・カキツバタ・ハナショウブの見分け方を紹介。③5月15日は京都の三大祭りの一つである葵祭の巡行がありました。その葵祭で使われた、カツラフタバアオイを紹介します。
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 まずは、ワイルドガーデンのドイツアヤメ(ジャーマンアイリス)、花弁の付け根にブラシのような毛があるのかこの花の特徴です。先月は満開でしたが、もう終盤でした。食草園では、アリストリキア・ヴェストランディー(ウマノスズクサ科)に大きな奇妙な形の花が咲いていました。ジャコウアゲハがこの葉に卵を産みます。残念ながら幼虫は見つかりませんでした。このツル性の木は中国原産ですが、日本ではウマノスズクサが生えており、ジャコウアゲハが卵を産み付けます。この植物の葉には毒がありますが、幼虫はその毒を体に貯め込んで、捕食者から身を守ります。チョウになってもその毒は体内に残るため、捕食者がいません。そのため、フワフワとした柔らかい飛び方をするそうです。余裕の飛び方ですね!!
 アヤメの見分け方説明。アヤメは5月上旬に咲き、畑など水のないところで育ちます。花弁には黄色い網目模様があります。カキツバタは、5月中旬ごろに咲き、花弁に白い筋があります。水中や湿ったところで育ちます。ハナショウブは、6月上旬頃に咲き、花弁に黄色の筋があり、水辺の近いところで咲きます。カキツバタとハナショウブは見ていません。コブシの木には、きれいな緑の葉が茂っていましたが、よく見ると毛虫?がたくさんついていました。葉柄と主脈だけになって丸坊主になっている葉もありました。何よりビックリしたのは、上からボトボトと幼虫が落ちてきたことです。この正体はコブシハバチの幼虫で、人間には毒性はありません。しかし、モクレン科の樹木を丸坊主にするとのことです。
 先ほど紹介されたカツラには、小さなバナナのような果実が付いていました。フタバアオイと共に葵祭に使われ、牛車や参列者の装束に飾られています。参加者の中から「それはどんな意味があるのですか」との質問があり、別の参加者から「桂は陽」、「葵は陰」を表し、天と地の調和や神様との結びつきを祈る意味が込められているとの説明がありました。なんとなくわかったかな…。
 生態園の入り口では、ハマクサギの黄色い小さな花が咲いていました。葉を触ると、ゴマのような匂いがしましたが、クサギのような臭い匂いではないです。地面に白い花がたくさん落ちていた。最初どこに咲いているのか分からなかったのですが、ずっと上を見上げるとエゴノキでした。皆で花を拾い、花弁が何枚あるか確かめました。基本形は5枚だが、4枚や6枚のものもありました。実にはサポニンを含んでいるのでえぐい木が訛ってエゴノキという名前になったそうです。フタバアオイは地面を這うように群生しています。葉をかき分けて見ると、フタバの股の間からが付いていました。徳川家の家紋の3つ葉葵は、このフタバアオイをモチーフにしたものです。
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 ホンシャクナゲヤクシマシャクナゲの葉の裏の比較。どちらも葉の表は無毛でやや光沢がありますが、葉裏には毛が蜜に生えていました。特にヤクシマシャクナゲは、ビロード状の毛が密集し、ふかふかでした。残念ながら花はもう終わっていました。イヌムラサキシキブは、ムラサキシキブとヤブムラサキの自然交雑種。葉にも花にも星状毛があるそうです。ルーペで確認すると毛がたくさんありましたが、星状毛かどうかは確認できませんでした。一般的なルーペではそこまで見えないですね。
 時間が来て駆け足で正門付近に移動。スダジイが咲いていて、遠目には黄色い雄花がブロッコリーのような姿に見えました。この花には独特の臭いもしていました。虫媒花なので、この香りで虫を呼んでいるらしいです。ドングリの赤ちゃんがどこにあるのか皆で探したら、数は少ないけれど見つかりました。開花から翌年の秋にドングリになります。そして時間切れとなりました。
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 今日は暑さのため、いつもより30分早く終了となりました。そのほかに観察した植物など。スイカズラアブラチャンヤブタビラコアメリカシャクナゲ(カルミア)満開、ヒモワタカイガラムシなど。 (文/やよい)

例会 5月7日(木)「山科植物資料館と勧修寺を訪ねる」の報告

 五月晴れのさわやかな朝、午前9時30分、地下鉄東西線・椥辻(なぎつじ)駅に事前申し込みのあった会員42名が集合しました。今回は見学受け入れ施設の都合により、事前申し込み制での開催です。「山科植物資料館」に入館したところで会長の挨拶があり、例会が始まりました。担当幹事は澤田会長、大川内さん、そして私(岸本)の3名。植物の案内は大川内さん、その他の案内は会長と私が担当しました。
 セミナールームへ移動する途中にナギの木があるため、まず植物のナギと、今回集合した最寄り駅「椥辻」の地名について説明しました。「椥」の字は非常に珍しく、ここ以外ではほとんど使われません。セミナールームでは、資料館職員の方から資料館の成り立ちについて説明を受けました。1994年(平成6年)に開園した同館は、約2400坪の敷地に約3000種類の薬用・有用植物を栽培しています。敷地内にはミブヨモギ記念館、大温室、見本園などがあり、参加者は5班に分かれて職員の方々から詳しい案内を受けました。
 園内には植物名が丁寧に表示されており、分かりやすく展示されています。また、職員の方々の案内により、手で触れたり味を確かめたりと、一般の植物園とは一味違う体験ができました。私が参加した班では、最初は遠慮がちだった会員も、職員の「遠慮しないでどうぞ」という声かけに励まされ、キダチアロエなどの苦味のある葉を味わった後、口直しにカンゾウの根を勧めていただくうちに打ち解け、次々と質問が飛び交う和やかな雰囲気となりました。薬草園としてスタートした施設ですが、薬草に限らず幅広い有用植物について丁寧に説明いただきました。ご案内くださった職員の皆さまに厚く御礼申し上げます。
 昼食はセミナールームで持参の弁当をいただきました。昼食後の空き時間には、日本新薬の歴史や活動を紹介するミブヨモギ記念館を見学し、その後記念撮影を行いました。
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 午後からは日差しが強くなってきたため、日陰を選びながら休憩を挟んでの移動となりました。2班に分かれて資料館を出発し、住宅街を抜けて名神高速道路に突き当たります。歩道沿いではイヌムラサキなど珍しい草本の観察もできました。高速道路をくぐるとすぐに「名神起工の地」の説明看板が現れます。日本で最初に開通した高速道路は名神高速道路の一部区間であり、案内標識が青色なのは夜間の視認性を考慮したためであるなど、開業当時のエピソードも紹介しました。さらに山科川にかかる橋を渡り、勧修寺へ向かいました。
 「勧修寺(かじゅうじ)」は真言宗山階派の大本山で、醍醐天皇ゆかりの格式高い門跡寺院です。前庭でイロハモミジオオモミジの違いを観察したのち、本堂前の勧修寺型灯籠のある庭園へ移動しました。池泉回遊式庭園の氷室池では、カキツバタをはじめ、ハナショウブやハスなどの親水性植物を鑑賞できます。「いずれがアヤメかカキツバタ」と言われるようにアヤメ科植物は見分けが難しいのですが、見分け方について詳しい解説がありました。氷室池の端にある観音堂前でも記念撮影を行いました。
 続いて、隣接する塔頭寺院「佛光院」を訪ねました。ここは1953年(昭和28年)、大石順教尼によって再建された寺院です。順教尼は大阪堀江の名妓でしたが、1905年(明治38年)、養父の狂刃による事件に巻き込まれ、17歳で両腕を失いました。その後、苦難を乗り越えて出家し、画家・書道家として活躍し、犠牲者の追善と身体障害者の救済に生涯を捧げました。1968年(昭和43年)、80歳でその波乱に満ちた生涯を閉じました。
 すぐそばの「宮道神社(みやじじんじゃ)」では、玉の輿の語源とされる平安時代のロマンスを紹介しました。藤原高藤が鷹狩りの際に偶然出会った宮道弥益(いやます)の娘・列子(たまこ)の美しさに心を奪われ、紆余曲折の末に正妻としたという話です。二人の娘・藤原胤子(たねこ/いんし)は宇多天皇の皇后となり、その子が醍醐天皇となったことから「玉の輿」という言葉が生まれたと伝えられています。ここには胤子の兄にあたる藤原定方も祀られており、定方が詠んだ百人一首の歌「名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな」の歌碑があり、傍らのサネカズラを観察しました。
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 観察する植物や見どころも多く、午後は気温も高くなり参加者の疲れも見られたため、当初予定していた行程を短縮し、宮道神社で解散することとしました。終礼後、山科川を再び東側へ渡り、随心院の拝観を希望する方々と別れ、午後3時過ぎに地下鉄東西線・小野駅に到着しました。(文/岸本) 

観察会 4月23日(木)「季節の植物観察/春らんまん、色とりどり」の報告

参加者:12名  天候:雨
案内役:高橋弥生さん、新堀裕子
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ナベワリ(ビャクブ科) 
 舐めたら舌が割れるほどの毒あり(アルカイド系)。
 葉の脇から大きさの異なる緑色の花被片4個が下を向く。オシベ4、葉はナルコユリ似。
 江戸時代  中国から薬草として 日本へ入って来た。根茎を咳止め、害虫駆除に使用。
フタリシズカ(センリョウ科)
 花片も萼片も無い。
 メシベの周りをオシベ3本が丸まって囲みオシベが落ちると中にあったメシベが顔を出す。他家受粉、自家受粉あり。
 義経の恋人静御前が鶴岡八幡宮で一人舞いをしたが  能楽では亡霊が登場し, 題目は「二人静」。 
ワニグチソウ(キジカクシ科)
 鰐口とは神社仏閣の前にある鈴の事。
 葉の脇から淡緑色の筒状の花が 2枚のホウに抱かれて下がっている。
 ホウチャクソウと似ているが、花はこちらのほうが小さい。
シャクナゲ(ツツジ科)
 生息地は、夏 涼しく、水はけの良い高山、山地。
 特にヒマラヤ周辺に多くの種類があり、ネパールの国花になっている。
 葉は厚く 4年以上寿命のものもあり。ロードキシンの毒あり。
 日本産は11種類ほどあり高温多湿でも生息出来るように品種改良されている。
 ホンシャクナゲもその一つで、西日本の山地に生息する。ツクシシャクナゲの変種。花冠 7裂  オシベ14本。ホンシャクナゲの葉の裏は明るい茶色の毛で 覆われている(セイヨウシャクナゲの葉の裏は緑色)。
ツツジについて
 春至る所にツツジの花が 咲いている。
 キリシマツツジは有名だが、自生する火山帯の土壌は強い酸性で重金属が溶けている事もある。
 街の道路沿いは、排気ガスにさらされている。
 ツツジは根の表面にツツジ科菌根菌を住まわせ、有毒な重金属をためてもらい、その上 水分、窒素、リンなどを貰う。
 ツツジからは  ツツジ科菌根菌に糖分などの栄養をわたす。
エビネ(ラン科)
 地中に球状の連なった鱗茎があり海老に似ている。里山のランの代表種。
 ランの仲間は花粉を「花粉塊」として作るものが多く虫の頭に着けて運んで貰う。
 ランの種子は、風に飛ばされ易いように大変小さい。
 自力で発芽出来ない為ラン菌を種子に取り込むがそれは、種子に影響の無い周辺部のみ。
 一番大事な「胚」には入らせない。ラン菌から窒素、リンなどを貰って種子が育っていく。
 どのようにして 小さく軽量化出来たのだろうか?花粉がメシベの柱頭につき胚珠の中で受精する時一つは胚になりもう一つは胚乳になる。
 ランの場合  栄養となる胚乳生成をやめてしまったので大量の小さい種子を作る事に成功した。
 最近のバイオテクノロジーの進歩により ラン菌無しでも人工培地で発芽が可能になり  又、成長点培養により大量増殖が可能になったそうだ。
トキワマンサク
 樹齢100年 以上の高木巨大さに皆さん 驚かれた。
・ガマズミ(ガマズミ科)
 「神の実」が名前の由来と言われ ガマズミの赤い実は酸っぱいがビタミン豊富。
 沢山の小さい白い花が散房花序 に咲く。花冠5 深裂 、葉は対生で触るとざらつくがハクサンボクは光沢あり。
フジ(マメ科)
 長い総状花序を垂らし葉は奇数羽状複葉、ツルは 根元から見て左巻きに登っていく(ヤマフジは右巻き)。
 フジの花によく来るクマバチについて。
 メスのクマバチは、水平状態の枯れた太い枝に穴を開け、個室を作り、蜜入り花粉団子に卵をひとつ産みつける。幼虫はやがて蛹になり羽化し冬を越す。しばらくの間母バチから食べ物を貰いながら 巣に留まる。天敵から巣を守るなどの役割を持つ。冬を超した若い成虫は、春になると巣から出て来る。
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 どの植物もなるべく絵や写真を見て頂きながら 話を致しました。(文/新堀裕子)
         

環境保全活動 4月17日/24日(金)「鵜殿ヨシ原のオオブタクサ苗抜き」の報告

 2日間に亘る、この行事は「京とおうみ自然文化クラブ」が主催団体となって、他の団体等の協力を得て17日と24日に実施しました。1回目の17日は「京とおうみ」チームが12名、現地合流の三井住友建設の4名を含め、他団体が13名の計25名。2回目24日は、「京とおうみ」チームが9名、他団体が三井住友建設チーム5名含め14名の計23名の参加者でした。両日とも、淀川堤防の旧河川事務所前で10時半過ぎに集合してスタートしました。スタートに際し、全参加者に、駆除マニュアル、鵜殿ヨシ原豆知識、河川レンジャー作成の「つる草抜き」ミニブックが配布され、NEXCO ゲート前で、新名神高速道の吊り橋の完成予想図を前に、簡単な説明がありました。また、管理道路を現地に向かう途中のNEXCO提供のトイレゲートの開き方ではドアボルトの操作実演も行いました。
 管理道路を進み、この時期にヨシ原に淀川本流から水を流し込む導水路を渡って現地に到着し、オオブタクサの実物見本を示しながら、苗抜きの具体的な説明が当クラブ会員の責任者からありました。驚いたのは、僅か半年で4mを超えて、太くて、のこぎりでしか切れないような「大木化」し、花粉をまき散らす秋の茎の見本でした。この時期、ヨシは腰から胸の高さ迄に成長し、4月末頃には人の背丈を越えます。実測データでは5月から6月にかけての成長期には1日10cm伸びるヨシもあり、最高値は568cmが記録されています。
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 オオブタクサの苗抜きは、ヨシ採取の入会権をもつ上牧実行組合が、今後、いいヨシが採れそうだと予想している「新下流」南側のエリア、約1500m2に集中して作業に掛かりました。オオブタクサは真下にタネを落とすらしく、山盛り状態で30cm位に苗が育っています。人がヨシ原に入れて、かつ、オオブタクサが柔らかく、根っこ毎抜き取れる時期は4月中旬からの2週間程度のようです。
 過去、このヨシ原で「京とおうみ」が活動した、侵略的特定外来生物のナガエツルノゲイトウの駆除はほぼ終了しました。また、実質的に国内唯一の雅楽篳篥用の「陸ヨシ」生育エリアの「つる草」による絶滅危機対応の「つる草抜き」も4年間のボランティア活動から、文化庁の予算が付き、今年からは高槻市の主管で、シルバー人材センターが作業を行う事となり、事業化継続され引継がれました。21日に行われた開始式には、濱田高槻市長も参列され、祝辞を述べられました。これの詳細は、24日の朝日新聞大阪版に詳しく記事化されています。
 いっぽう、河川事務所も懸念しているオオブタクサの駆除は、今回が初めての事で、テストケースとしての位置付けで、新たに2回目の24日、トラロープで仕切った5m角の比較試験区を2か所に設けました。年内、観察を続け、実施時期、駆除のやり方を含め今後検証します。また、両日とも、全員、這いつくばっての作業になり、ヨシ原の下に潜り込む形で、作業中の写真も撮れませんでしたが、オオブタクサを引き抜きながら、ヨシ原の中を進んでいくと、オオブタクサに囲まれながらも、オドリコソウの群落がピンクの花を咲かせていて楽しませてくれました。また、鶯の澄み切ったさえずりを聞きながら、高田先生による野草の説明などの学びもありました。
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 参加団体は「京とおうみ」以外に、顧問格の綾、高田両先生のほか、「たかつき環境市民会議」、「高槻・五領地区の環境とこどもの未来を守る会」、「ナガエツルノゲイトウバスターズ」、「島津北摂会」、「ヨシオープンイノベーション協議会」などのメンバーが参加されました。個別には「京とおうみ」チームが延べ21名、他団体などの一般参加が延べ27名の総計48名の参加でした。また、異色の参加者として、つり橋の工事をされている、三井住友建設の技能実習生を含む方々の参加は嬉しいものでした。ミャンマーやインドネシア出身の20代の実習生に「何か夢があるの?」とメンバーが尋ねると「国の家の経済(?)を良くする」との答えが印象的でした。
 なお、1回目に見れなかった「トネハナヤスリ」の群生地は、2回目の往路で近くに行って見る事が出来ました。   (文/赤對)

例会 4月21日(火)「飛鳥の古墳巡り」の報告

 近鉄吉野線の飛鳥駅に集合。参加者は会員38名、一般参加3名の計41名。天気はうす曇りでウォーキング日和でした。出発前に案内役の山下さんから、「あすか」という呼び方で飛鳥と明日香の違いを教えていただきました。「飛鳥」は古代の都(飛鳥京)があった場所や、歴史的背景を指す際に使われ、「明日香」は1956年の3村合併で誕生した明日香村を指す行政地名です。
 10時過ぎに駅前を出発して西へ向かい、まず、歴史を感じさせる家並みの道の途中にある岩尾山古墳に立ち寄りました。7世紀の方墳で、唯一、石室内に入ることができます。石室内は意外と広く、岩の組み方が緻密で素晴らしかったです。
 しばらく歩くと、小高い丘の上に凝灰岩の切り石で復元された牽牛子塚(けんごしづか)古墳が見えてきました。八角形の古墳であさがお塚とも呼ばれています。八角形は飛鳥時代の天皇にのみ許された形で全国でも5基しかないとのことです。内部は凝灰石をくりぬいて左右2室になった石室とドーム型の天井から成り、2度天皇になった皇極天皇・斉明天皇とその娘が眠っているといわれます。
 見学後、東へ約30分歩いて文武天皇陵へ。文武天皇(42代)は天武天皇と持統天皇の孫です。宮内庁管理の立派な墳墓ですが、実際の墓は近くの中尾山古墳だとする説が有力とのことです。古墳の周りを歩くと遊歩道から眺める里山風景と時折聞こえるキジやウグイスの鳴き声がのどかで印象的でした。そのあとは近くの休憩所で昼食タイム。
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 午後は今日のハイライトの高松塚古墳へ。高松塚古墳は7世紀末から八世紀初めに造られた2段式の円墳で、昭和47年の発掘調査で石室内に色鮮やかな壁画が見つかりました。壁画は石室の東壁・西壁・北壁(奥壁)・天井の4面に存在し、なかでも西壁の女子群像は色彩鮮やかで「飛鳥美人」のニックネームで知られています。その後、壁画は現地で保存管理されていましたが、カビの発生のため取り出して修理されました。高松塚壁画館では当時の壁画の色や劣化の様子などを忠実に復元した壁画が展示されており、その模写技術に感動しました。
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 次に訪れた中尾山古墳は坂道を登り切った所にある木々に囲われた小規模な古墳ですが、本来の文武天皇陵と言われています。飛鳥時代終わりの八角形の古墳で、石室が90cm四方と狭いのは埋葬されているのが火葬骨だからと考えられています。そのあと坂道を下っていくと飛鳥歴史公園館に着きましたが、あいにくリニューアルのため休館中でした。ここで小休止のあと天武天皇と持統天皇の合葬墳墓を目指しました。
 しばらく車道を歩くと小高い丘の上に合葬墳墓が見えてきました。 この墳墓は八角墳です。天武天皇は兄の天智天皇の遺志を継いで中央集権国家の形成を推し進めました。持統天皇は天智天皇の娘で、天武天皇の皇后でもあったことから、天武天皇の亡きあと中央集権国家の確立に尽力しました。また、初めて火葬された天皇としても知られています。                                                             合葬墳墓の近くに大きなまな板状の石造物と、花崗岩をくり抜き中央が空洞になった石造物があります。鬼の俎(まないた)・鬼の雪隠(せっちん)と言われ、鬼が旅人を霧で迷わせ、捕らえて爼で料理し、満腹になったあとに雪隠で用を足したという言い伝えがあります。
 最後に訪れた欽明天皇陵は、明日香村では唯一の前方後円墳で、村内で最大の古墳です。欽明天皇陵のすぐ近くにある吉備姫王墓(きびひめのみこはか)の敷地内には、江戸時代に水田から掘り出された石造物4体があり猿石と言われています。7世紀頃の飛鳥時代の作と推定されています。
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 ここで本日の予定は終了し、飛鳥駅に戻って14時過ぎに解散しました。ところで、飛鳥の古墳というと高松塚古墳以外には石舞台古墳を思い浮かべますが、本日はこれまで知らなかった古墳を巡ることができて良い勉強になりました。  (文/讃良)