五月晴れのさわやかな朝、午前9時30分、地下鉄東西線・椥辻(なぎつじ)駅に事前申し込みのあった会員42名が集合しました。今回は見学受け入れ施設の都合により、事前申し込み制での開催です。「山科植物資料館」に入館したところで会長の挨拶があり、例会が始まりました。担当幹事は澤田会長、大川内さん、そして私(岸本)の3名。植物の案内は大川内さん、その他の案内は会長と私が担当しました。
セミナールームへ移動する途中にナギの木があるため、まず植物のナギと、今回集合した最寄り駅「椥辻」の地名について説明しました。「椥」の字は非常に珍しく、ここ以外ではほとんど使われません。セミナールームでは、資料館職員の方から資料館の成り立ちについて説明を受けました。1994年(平成6年)に開園した同館は、約2400坪の敷地に約3000種類の薬用・有用植物を栽培しています。敷地内にはミブヨモギ記念館、大温室、見本園などがあり、参加者は5班に分かれて職員の方々から詳しい案内を受けました。
園内には植物名が丁寧に表示されており、分かりやすく展示されています。また、職員の方々の案内により、手で触れたり味を確かめたりと、一般の植物園とは一味違う体験ができました。私が参加した班では、最初は遠慮がちだった会員も、職員の「遠慮しないでどうぞ」という声かけに励まされ、キダチアロエなどの苦味のある葉を味わった後、口直しにカンゾウの根を勧めていただくうちに打ち解け、次々と質問が飛び交う和やかな雰囲気となりました。薬草園としてスタートした施設ですが、薬草に限らず幅広い有用植物について丁寧に説明いただきました。ご案内くださった職員の皆さまに厚く御礼申し上げます。
園内には植物名が丁寧に表示されており、分かりやすく展示されています。また、職員の方々の案内により、手で触れたり味を確かめたりと、一般の植物園とは一味違う体験ができました。私が参加した班では、最初は遠慮がちだった会員も、職員の「遠慮しないでどうぞ」という声かけに励まされ、キダチアロエなどの苦味のある葉を味わった後、口直しにカンゾウの根を勧めていただくうちに打ち解け、次々と質問が飛び交う和やかな雰囲気となりました。薬草園としてスタートした施設ですが、薬草に限らず幅広い有用植物について丁寧に説明いただきました。ご案内くださった職員の皆さまに厚く御礼申し上げます。
午後からは日差しが強くなってきたため、日陰を選びながら休憩を挟んでの移動となりました。2班に分かれて資料館を出発し、住宅街を抜けて名神高速道路に突き当たります。歩道沿いではイヌムラサキなど珍しい草本の観察もできました。高速道路をくぐるとすぐに「名神起工の地」の説明看板が現れます。日本で最初に開通した高速道路は名神高速道路の一部区間であり、案内標識が青色なのは夜間の視認性を考慮したためであるなど、開業当時のエピソードも紹介しました。さらに山科川にかかる橋を渡り、勧修寺へ向かいました。
「勧修寺(かじゅうじ)」は真言宗山階派の大本山で、醍醐天皇ゆかりの格式高い門跡寺院です。前庭でイロハモミジとオオモミジの違いを観察したのち、本堂前の勧修寺型灯籠のある庭園へ移動しました。池泉回遊式庭園の氷室池では、カキツバタをはじめ、ハナショウブやハスなどの親水性植物を鑑賞できます。「いずれがアヤメかカキツバタ」と言われるようにアヤメ科植物は見分けが難しいのですが、見分け方について詳しい解説がありました。氷室池の端にある観音堂前でも記念撮影を行いました。
続いて、隣接する塔頭寺院「佛光院」を訪ねました。ここは1953年(昭和28年)、大石順教尼によって再建された寺院です。順教尼は大阪堀江の名妓でしたが、1905年(明治38年)、養父の狂刃による事件に巻き込まれ、17歳で両腕を失いました。その後、苦難を乗り越えて出家し、画家・書道家として活躍し、犠牲者の追善と身体障害者の救済に生涯を捧げました。1968年(昭和43年)、80歳でその波乱に満ちた生涯を閉じました。
すぐそばの「宮道神社(みやじじんじゃ)」では、玉の輿の語源とされる平安時代のロマンスを紹介しました。藤原高藤が鷹狩りの際に偶然出会った宮道弥益(いやます)の娘・列子(たまこ)の美しさに心を奪われ、紆余曲折の末に正妻としたという話です。二人の娘・藤原胤子(たねこ/いんし)は宇多天皇の皇后となり、その子が醍醐天皇となったことから「玉の輿」という言葉が生まれたと伝えられています。ここには胤子の兄にあたる藤原定方も祀られており、定方が詠んだ百人一首の歌「名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな」の歌碑があり、傍らのサネカズラを観察しました。
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観察する植物や見どころも多く、午後は気温も高くなり参加者の疲れも見られたため、当初予定していた行程を短縮し、宮道神社で解散することとしました。終礼後、山科川を再び東側へ渡り、随心院の拝観を希望する方々と別れ、午後3時過ぎに地下鉄東西線・小野駅に到着しました。(文/岸本)

