梅のつぼみも開き、洛南の地も春めいてきました。2月最終週の27日、洛南の院政文化の史跡と現代のものづくり最先端をいく企業の京セラ資料館を見学しました。心配された天候は曇天、やや寒いが歩くには良いぐあい。参加者は31名。「日本史で院政って習ったが、ややこしかったな」とか、「何とか上皇とか法皇とか、親子兄弟で仲たがいして戦争になったり、とても名前は覚えられへんかったな」とか、最初に訪れた近衛天皇安楽寿院南陵あたりで二重の多宝塔を見ながらの皆さんの会話でした。
 洛南鳥羽の地は、天皇を退いてのち、政治権力と経済力を握って院政をおこなった上皇たちの活動した舞台でした。近衛天皇陵も、鳥羽天皇陵、白河天皇陵も、この地にあるが縮小しており、またゆかりの寺社も多かったが戦乱で焼亡して、往時の姿は想像しにくい。この近辺は現在ほぼ民家に囲まれた住宅地で、イメージするのがとても難しい。
 前半の平安末期の院政時代の史跡や、明治維新の引き金となった鳥羽伏見の開戦地だったことは、北向山不動院(鳥羽上皇の勅願所)の住職さんが40分ほどきわめて懇切な説明をしてくださった。お願いしてあったので平日ながら本堂をあけていただき、会員一同ゆったりと説明を聞くことが出来た。通常本堂の開扉は土曜日のみとあった。パネルを何枚も使いながら平安京と鳥羽の地の位置関係と、地形上の鳥羽の津、湊としての重要性、上皇たちのエピソード。また、戊辰戦争での薩摩軍の本陣や、開戦のさいの鳥羽村の村民の協力、その際の不動院の役割など、多岐にわたってのお話だったが、わかりやすい説明であった。
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 昼食をとった鳥羽離宮跡公園は、いまは住宅や工場に囲まれた運動場のようで目で追える程度だが、当時の規模は想像できない程の広さであった。もう少し、この離宮公園が日本歴史上の重要地だったことを公園内のどこかに説明して掲示すべきではないか、と思った。

 後半の京セラフインセラミックス館へは、離宮公園から徒歩10分ほどで着いた。まず、稲盛ライブラリーで、京セラ創業者の稲盛和夫氏の紹介ビデオを見せていただく。続いて、同館3階に復元されているオフスを実見して、外に出て本社ビル1階から2階へとまわっていった。本社ビル1階は京セラギャラリーでは、ピカソの晩年1968年のデッサンや版画、乾隆帝期の清時代の陶器他の展示品などが、2階は京セラフインセラミック館で、京セラがこれまでに開発して作り上げてきて製品化してきたフインセラミックの数々が展示してあった。日常の家庭台所用品から、電化製品の部品、携帯電話や自動車の部品、航空機や宇宙船の部品に至るまで、セラミック製品が汎用的に使われており、そのための開発が日々行われていることに気づかされた。
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 京セラという企業の資料館の見学から、あらためて現代社会において製品開発の研さんと努力に真剣に取りくまれている姿を見ることが出来た。1時間30分の時間内で要領よく、会社全体を案内していただいたことに感謝したい。   (文/木全清博)