6月9日の梅雨入りの日、伏見稲荷から深草の史跡巡りと藤森神社のアジサイ見物の例会でした。幸いなことにほぼ曇天で、高温にもならず洛南の史跡歩きを愉しめました。いつもながらガイドの松浦さんの歴史や宗教の博識さに教えられました。町歩きの参加者はこのところ増えて、今回は44名でした。JR稲荷駅前の神社大鳥居に集合。インバウンドの外国人観光客で一番人気の伏見稲荷神社前、日本人観光客よりも多く通り過ぎていました。しかし、私たちの歩くコースは伏見稲荷周辺の古くからある古寺院境内、道端の地蔵・石仏、陵墓など由緒ある史跡でした。

① 伏見稲荷神社
 伏見稲荷神社の創建は、711(和銅4)年で秦氏によるとの説明を聞く。稲荷山がご神体で山全体が神域、全国3万社ある稲荷社の総本社、名前の由来は稲作重視の農業信仰、大鳥居の上の黒色の覆いは神仏習合思想、祀られるきつねは田畑荒らす猪・鹿・鼬などの天敵だからとか、何度も伏見稲荷を訪れていても意外に知らないことばかり。平城京と同じ頃の時期に創建とは驚いた。大鳥居がなぜ赤いか。水銀化合物含む朱(赤色)が防腐剤の役目だから使われているとか聞いて大納得。ガイドブックにはない松浦さんの説明に引き込まれる。
② 東丸神社(あずままろじんじゃ)
 江戸時代の国学者荷田春満(かだのあずままろ)が祀られている神社、横が生家跡。1669(寛文9)年に稲荷神社祀官の子に生まれ、国学の研究を深めた人物で、江戸に移って賀茂真淵など師と成る。儒学全盛時代に日本古来の古典・古学を重視した。京都にはのち古学の伊藤仁斎など学者が登場していく。
③ ぬりこべ地蔵
 神社から少し離れた大門町の道端に祀られている石仏。小さいお堂の中に1mくらいの石仏があり、歯痛平癒祈願にご利益あるとか。堂内には祈願の全国からの葉書が確かにあった。丁度、虫歯予防デーの6月4日に供養があったとのこと。この近くには、六体のお地蔵さんがあった。喧噪の稲荷神社離れたところの素朴な赤い涎掛けの六地蔵があった。地蔵信仰は中世の室町時代から江戸時代に広まるが、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のどこにいても手を差し伸べ救済するのが六地蔵とのこと。
④ 石峰寺(五百羅漢石仏) 黄檗宗
 黄檗宗の石峰寺(せきほうじ)は、近年伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の隠棲の地として知られた寺。寺号は百丈山。若冲が設計した釈迦の誕生から涅槃までの一代記の石仏が裏山にある寺で、若い住職が流暢に寺の由来を説明して、五百羅漢の設立された経過を語ってくれた。伊藤若冲フアンの方はすでに何度か来られていたかもしれない。五百余体の石仏をぐるりとまわってみると、裏山の傾斜地に野ざらしの石仏群がみられた。個人的にはもう少し、保存された方がよいかとも思った。伊藤若冲の墓と、江戸時代の著名な書家貫名海屋(ぬきなかいおく)の筆塚があった。若冲墓は「斗米庵若冲居士墓」とあり、彼が米一斗で絵一幅を描いて生活の糧にしたとの故事によるらしい。なお、毎年9月10日が若冲忌のため、9月4日から10日まで石峰寺が所蔵する若冲の作品が公開されるとのこと。
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⑤ 宝塔寺
 日蓮宗
 石峰寺から300メートルほどの所に日蓮宗の深草山宝塔寺がある。ここには寺の裏から入ると、見事な本堂と壮麗な多宝塔があった。とりわけ多宝塔は重要文化財指定で1439年は下らずとあり、室町時代の建築物。流麗な多宝塔で下層が方3間、上層が円形、下層屋根は行基葺きだった。多宝塔のやや南から桃山城が遠望できた。階段下りていくと、これも室町時代の建造の四脚門(重要文化財指定)であった。もともと、平安時代の藤原基経が発願した極楽寺であり899年に息子藤原時平が建立した由緒ある古刹だった。
⑥ 瑞光寺(元生庵) 日蓮宗
 本堂が茅葺のめずらしい寺の瑞光寺。この時期は庭園の花との調和がなかったが、秋になると元政上人開祖の本堂の好さが見られたと想像できた。
⑦ 深草聖天(嘉祥寺) 天台宗
 瑞光寺から町中の住宅地をしばらく歩いて、深草聖天に行く。この寺も元嘉祥寺の創建は古く851(嘉祥4)年で、第54代仁明天皇の時、清涼殿を移転したとのこと。ここにはガネーシャという象の顔と人間の体をもつ聖天象がご本尊。ガネ―シヤは、元はインドのヒンズー教の神だが、仏教の神として取り込んだので本尊になったとのことだった。
⑧ 深草12陵
 深草には中世の鎌倉から戦国時代の天皇陵が多く、深草十二陵は深草北陵ともいわれ、12人の天皇の合葬地である。年代も鎌倉時代(3人)、南北朝時代(3人―北朝)、室町時代~戦国時代(6人)の天皇である。戦国時代の織田信長や豊臣秀吉と関わりのあった正親町天皇、後陽成天皇がここに埋葬されている、天皇家の権力と財力がもっともなかった時である。
⑨ 藤森神社
 深草12陵墓から藤森神社へ歩く。途中に第2次世界大戦前まで深草には第16師団があったが、現在の聖母女学院の校内に一部建物があり、門外から見る。第16師団司令部は戦後京都学芸大学(19661年から京都教育大学)に敷地を譲っている。大学の西側横手に藤森神社があり、ここは春の藤棚と梅雨頃のアジサイで知られている。神社の各所には、神功皇后旗塚とか蒙古居兵首塚とか軍事かかわる伝承に関する記念碑が残っていた。
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 小雨もぱらつき出してきて、よい時間となってきたので、神社境内のアジサイ見物は自由観察ということで解散となった。   (文/木全清博)