近鉄大和西大寺駅前に会員42名と一般参加6名、計48名が10時に集合しました。駅改札口前は混雑していたため、西大寺門の東門前へ移動し、担当幹事である澤田会長の挨拶からスタートしました。案内役は当会会員である義田さん、上森さん、澤井さん、村上さんの4名です。これらの方々は、奈良の自然や歴史を案内するボランティア活動「ならなぎ」のメンバーでもあります。事前に配布された本日の案内地図をもとに、私は義田さんのグループに参加しました。天候は曇りのち晴れで、爽やかで気持ちのよい一日でした。

西大寺 真言律宗の総本山である「西大寺」は、大仏で有名な「東大寺」との対比で名付けられました。東門前にある石落(しゃくらく)神社について、西大寺中興の祖である叡尊が薬の製法を授かった石落神を祀っているとの説明を受けた後、境内に入りました。西大寺は奈良時代に建立され、南都七大寺の1つとして壮大な伽藍を誇っていましたが、一時衰退し、鎌倉時代に叡尊によって復興されました。四天堂、本堂東塔跡愛染堂などを巡り、南大門前にある御衣黄桜を鑑賞しました。この桜は、開花当初は薄緑色で、満開時には中心部がピンク色に変化する大変美しいものでした。
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菅原天満宮 菅原天満宮は、菅原の地を本拠とする土師氏支族(後の菅原氏)が祖神を祀ったのが始まりです。その後、南西の地に菅原寺(喜光寺)が創建されるとその鎮守社とされ、菅原神社と呼ばれるようになり、2002年に菅原天満宮と改称されました。
喜光寺(きこうじ) 奈良時代の創建当初は菅原寺と呼ばれていましたが、聖武天皇が参詣した際、本尊から放たれた光明を目にした天皇が歓喜し、「歓喜の光の寺」として喜光寺の名を賜ったそうです。
い号陪塚 垂仁天皇陵にある7つの陪塚のひとつで、直径約40メートルの大型円墳です。
垂仁天皇陵 全長約227メートルの規模を誇る前方後円墳です。築造時期は4世紀半ば頃と推定されています。墳丘の周濠内にある小島は陪塚で、「伝田道間守墓」として知られています。案内では、垂仁天皇にまつわる様々な伝承やエピソードについて解説がありました。田道間守(たじまもり)は、垂仁天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」、すなわちタチバナを求めて常世の国に派遣されましたが、帰国時にはすでに天皇が崩御していました。これを嘆き悲しんだ田道間守は天皇の陵前で殉死したとされています。「タチバナ」の語源は「田道間守」に由来するという説があるとのことです。

 昼食は御陵近くの公園で、持参したお弁当をいただきました。

唐招提寺 律宗の総本山である唐招提寺は、本尊が盧舎那仏であり、唐出身の僧である鑑真によって創立されました。南大門から入り、金堂、東室、礼堂(らいどう)、鼓楼、講堂、鐘楼、戒壇、本坊、開山堂、御影堂(みえいどう)前を巡り、鑑真和上御廟、宝蔵、経蔵と境内を一周しました。境内には国宝や重要文化財が数多くあり、とりわけ金堂は建物と堂内の仏像9体すべてが国宝という点で非常に印象的でした。個人的には、苔むした鑑真和上御廟の敷地内に入った際、その清々しく厳かな雰囲気に心が洗われるような感覚を覚えたことが最も心に残りました。

 今回の街歩きの副題にもある鑑真和上ゆかりの「瓊花」について、御影堂供華園(みかげどうくげえん)では開花前のため見られませんでしたが、薬草園や御廟では可憐な白い花を楽しむことができました。午後3時前に売店前で自由解散となりました。新宝蔵へ戻る方、門を出て薬師寺を訪れる方など、それぞれが思い思いの時間を過ごされたようです。
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 案内役の4名の皆さんには寺院や古墳について詳しい説明をしていただきましたが、ここですべてを記すことはできません。ありがとうございました。 (文/岸本恭彦)