黄砂の影響と思われる霞はあるものの晴れの良い天気でした。今回は桜の花を期待してJR山科駅から南禅寺まで歩きます。参加者は一般参加1名と会員35名の計36名。JR山科駅に9時30分に集合した後、毘沙門堂を目指して出発。15分ほど歩くと疎水に到着。トンネルから出た琵琶湖からの水が滔々と流れていました。しかし、疎水沿いの桜はまだつぼみです。近くの広場で案内役の勝田さんからコースの説明があった後、毘沙門堂に向けて出発。
疎水に架かる橋を渡ると道は狭いゆるやかな登坂になりました。橋の近くのハクモクレンの花が満開でした。両側には大きな邸宅が並んでいます。毘沙門堂の入口に到着し、汗をかきながら急な階段を上り、朱塗りの仁王門をくぐると、唐門、その奥に本殿が現れました。毘沙門堂は毘沙門天を祀る天台宗の門跡寺院。各自お参りした後、集合写真を撮影。そして、まだつぼみの枝ぶりが見事なシダレザクラの脇を通り、山科聖天に向かいます。山科聖天の正式名は双林院といい、毘沙門堂が再興された時に建立されました。
しばらく滞在した後、日向(ひむかい)大神宮に向けて出発。車が1台通れるくらいの狭い道路をしばらく歩くと鬱蒼とした杉林の山道に変わります。35分ほど歩いて峠に到着。休憩した後、出発。今度は急な下りの山道。足元に注意しながら慎重に歩きます。道はアップダウンが多いため、山道を歩き慣れていない人たちは遅れ気味になり、先頭集団と後続集団に分かれてしまいました。約30分後に先頭集団は分岐点(七福思案処)に到着し、後続集団を待ちます。10分後に後続集団が到着すると、天の岩戸経由のルートで日向大神宮に向けて出発。道には木の根っこがあちらこちらに張り出しているためつまずかないように注意して歩きます。分岐を大神宮方面に左折したあとはひたすら下ります。昼食場所はインクラインの予定でしたが、大幅に遅れたため下り道の休憩ポイントでランチタイム。
その後、天の岩戸をくぐり、伊勢神宮遥拝所を経由して大神宮に到着。ちなみに、日向大神宮は 天照大御神を祀っており、古来より伊勢神宮の代わりに参詣されていたことから、"京のお伊勢さん"とも言われています。
大神宮を出発して車道を下り、疎水にかかる大神宮橋を渡ったあと、インクラインのそばの広場にある田邉朔郎像の前で集合写真。残念ながら、期待した桜の花はまだつぼみでした。
ここで琵琶湖疎水とインクラインについて少し解説。明治14(1881)年、第3代京都府知事の北垣国道(くにみち)は、明治維新の東京遷都で衰退する京都を、琵琶湖から引いた疏水の水力で新しい工場を興し、舟で物資の行き来を盛んにしようと計画。工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業したばかりの田邉朔郎(当時21歳)を工事担当者として迎え、着工から5年後の明治23(1890)年に疎水は完成しました。琵琶湖疎水の総延長は大津市から伏見区まで約20kmですが、琵琶湖と蹴上船溜(インクライン上部)の水位差は約4mしかないため,高度な測量と施工の技術が必要でした。当時は満足できる機械設備がなかったため、いかに過酷な工事だったかが想像できます。疎水の水を使った水力発電を採用したおかげで,新しい工場が生まれ,路面電車も走り出し,京都は活力を取り戻しました。明治期の竣工以来、今なお現役で活躍している人工の運河です。
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蹴上インクラインは疏水上流の蹴上船溜と下流の南禅寺船溜を結んだ全長約582mの傾斜鉄道で、約36mの高低差を克服するために舟を台車に乗せ、ケーブルカーと同じ原理で運びました。 休憩のあと、南禅寺へ向けて出発。南禅寺の近くになるとさすがにインバウンドが多い。南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山。三門は日本三大門の1つに数えられるほどの名門でその大きさに圧倒されました。
さらに奥へ進むと、田邊朔郎が設計・デザインしたで今も現役の水道橋の水路閣があります。写真の撮影ポイントにもなっており、ここが今回のゴール地点。終礼を行ったあと、14時頃に解散となりました。歩いたコースにはハードな山道もありましたが、怪我人も出ずに無事完歩できてよかったです。ただ、もう少し参加者の体力を考慮したコースを選定すべきだったと思いました。次回は桜が満開の時に訪れてみたいと思います。案内していただいた勝田さん、ありがとうございました。
(文/讃良)
(文/讃良)

