阪急西山天王寺駅に集まったのは20名。午前中は10名ずつ分かれての2班での見学会となる。澤田班は、恵解山(いげのやま)古墳経由で当初予定していた中山修一記念館へ、西堀班は直接記念館へ。案内は、長岡京市ふるさとガイドの会にて活躍されている当会のメンバーである西堀さんにお願いしての一日。

 最初に訪問したのは、長岡京発見、その歴史解明に一生涯を捧げ多大な業績を残された故中山修一先生のご遺族が作られた「中山修一記念館」。館内では、長岡京発掘の経緯と功績が展示・解説されているパネルを中心に記念館の担当者による詳しい説明を受ける。先般(3/22)当会にて訪問した長岡京市埋蔵文化財センターを見学、説明を聞かれた参加者の皆様はより深い知識を得る事が出来たと思われます。

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  次に京都盆地最大の前方後円墳(全長約128m)恵解山古墳を訪れる。墳丘は3段に築かれ、テラスには1800ヶの各種埴輪(はにわ)が並べられていたようで、当時を再現する円筒埴輪や朝顔形埴輪等素焼きにしたものが10年前の古墳復元時に並べられています。古墳からは、約700点もの鉄製武器類が埋蔵されており、その状態が説明されていました。古墳は、その規模や構造から5世紀前半頃に桂川右岸の乙訓地区を治めた支配者の墓と考えられている。今では、地域の史跡公園として市民の集いの場として整備されています。また、1582年の「山崎の戦い」での明智光秀の本陣跡とも記されていた。これも昨年(9/26)に訪問した「御坊塚」との説(中山修一先生)もあり、色々な学説があるようです。

 明智光秀の娘「玉」が、細川忠興に嫁いだ勝竜寺城跡に行く途中にある「勝竜寺」に立ち寄る。このお寺は、大同元年(806年)に帰朝した弘法大師(空海)が唐の長安で修業した青龍寺の名をとって創建したと伝わるお寺である。ご本尊は、重要文化財の十一面観音、室町時代には、守護大名が地域拠点としてこのお寺を使っていたが、応仁・文明の乱が始まると、西軍方の畠山義就の勢力が入り、軍事拠点となった。その後、勝竜寺城が築かれた。また、近年「ぼけ封じの寺」として参拝される方もお見えのようだ。

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  そこから徒歩5分の場所にある、勝竜寺公園(勝竜寺城跡)に向かう。同公園は、今から約450年前の戦国時代末期、織田信長の家臣細川藤孝が大改修を行った勝竜寺城跡に整備されている。同城は、明智光秀の「最後の城」、細川ガラシャの「輿入れの城」として有名で、毎年(平成4年度から)玉のお輿入れの様子を再現した行列巡行等の「ガラシャ祭」が、執り行われている。
 庭園には、藤孝の長男の忠興と、明智光秀の娘であった玉(後の細川ガラシャ)の銅像がある。北門にある石垣の一部は当時の状態が保存された野面積みであり一部は五輪塔や石仏も利用されている。また、外壁の外には、細川九曜門を表現した休憩所が設置されている。
 此処で昼食を終え、JR長岡京駅に向かう途中にあるのが、勝竜寺城の惣横の土塁・空堀跡、これは、低地にある城の守りを堅固にするため城の北側に堀の底から土塁の頂部高さ6mを超える大規模な土塁・空堀が築かれた。JR長岡京東側には、終戦間際に空襲を受けた旧日本輸送機の煙突の傷跡(碑)が残されている.

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 (写真はクリックで大きく表示されます)
 最後に、「キリシマツツジ」で有名な長岡天満宮へ、五つの鳥居をくぐり本殿にて参拝。その後、八条池にある水上橋を進むとセンダンの花の甘い匂いが、その先には、スイレン(睡蓮)やコウホネが見頃を迎え、私達を楽しませてくれた。カキツバタ黄菖蒲は花の時期が終わったのか、また、花菖蒲は少し時期が早いのか?でも少し綺麗な姿も観る事が出来ました。


 この地で長岡京歴史探索も解散、西堀さん本当に有難う御座いました。
                           (文/
T.SAWADA)