「天王山とミツマタ群生地を訪ねる」でJR山崎駅に集合(10時)。本日の案内は新谷さんと澤田勉さんが行われました。参加者は会員30名と一般参加4名の計34名でした。10:00
澤田勉さん、新谷さんから概要の説明をされ、最初に「変な道を通ります」との説明がありました、何の事か理解できませんでしたが、すぐに「変な道」が理解できました。高さ160cmでしゃがみながら通りました。トンネルを通り福祉施設の林道を登りました。ミモザが満開でサクラが咲きかけていました。登山入口10:25 林道を歩きました。
竹林、林道を歩き、最初のミツマタが見えました。11:05
天王山のミツマタ群生は昔は部分的であった。林道を作る為に植えられ現在の群生となった。ミツマタ群生の中で、和紙の原料であるミツマタの説明が新谷さんからありました。11:35
説明の要約
① 生育は比較的簡単で、和紙の原料として人工的に植えられた経緯がある。
② 和紙の原料として樹皮は繊維が強く、日本の紙幣にも使われている。
③ 約800年前の平安時代紫式部が使用されていたと言われている、雁皮の和紙がハーバード大学に残されおり、劣化してなく状態であった。
④ 墨で字を書いた、実際の和紙を新谷さん持参され、見せて貰った。つやがあった。
⑤ ミツマタの群生は丹波篠山等、近くでも多く見られる。
その後、酒解神社で小休止を行いました。11:10
酒解神社:大山祇神を主祭神とし、素盞嗚尊を相殿に祀っており、橘氏の先祖神であると言われていますが、創建の由来は不明です。しかし養老元年(717年)建立の棟札があることから奈良時代の創建とみられています。中世には、同社は山崎山(天王山)上に遷座し、山上の神はやがて天王社と呼ばれるようになり、山も天王山と呼ばれるようになっていきました。明治10年に式内社自玉手祭來酒解神社と決定されました。正式名は「たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ」だと舌をかむので「さかとけさん」で名が通ります。
小倉神社:社伝によると、養老2年(718年)の創建とされる。平安遷都の際には、御所の鬼門除けとして祈願され、嘉祥3年(850年)に正一位の神階を賜ったというが、同時期の事蹟を記した『日本文徳天皇実録』には記載がない。『延喜式』神名帳においては「山城国乙訓郡 小倉神社 大月次新嘗」と記されている。
小倉神社で澤田章夫さんから京とおうみ自然クラブの来年度のスケジュールと新年度からの新会員加入の説明があった。13:10
小倉神社から長岡埋蔵文化財センターへ向かう。小泉川の河原を歩く。高速道路(京都縦貫自動車道)建設に伴い、河原が綺麗に整備されていました。ハクセキレイが多くいた。サクラの花芽が大きくなって、来週には開花するのではと思われる。長岡京市埋蔵文化財センターに到着14:10 所員の方から説明をいただきました。
① 長岡京とは西暦784年(延暦3年)に桓武天皇が平城京を廃し、都を山背国(やましろのくに)長岡に遷しました。平城京は盆地で水陸の便も悪く、長岡は水陸の便が良いとされた。
② 大極殿(長岡宮)を設け、碁盤の目の町つくりを行った。長岡京は10年で平安京に遷都された。
③ 長岡の地は水陸の便が良く、旧石器時代から縄文時代、弥生時代、古墳時代の遺跡が多く発掘されている。
長岡京市埋蔵文化財センターで解散しました。15:10
長岡天神はサクラちらほら、咲いてました。(文/y.n)