2024年最初の例会は「幕末伏見の旧跡を訪ねる」で京阪電鉄、丹波橋駅に集合(10時)。本日の案内は歴史・文化にとても詳しい松浦さんにお願いする。参加者は会員43名と一般参加2名の計45名で今年度の例会では断トツの参加者である。これは企画内容の面白さと案内の松浦さんの話を楽しみに来られたものと推測する。
駅前広場で案内開始、「丹波橋」のいわれはとの問いかけ、秀吉の時代に丹波守に橋を作らせたからとのこと。またこの広場は「呉竹文化センタ-前」呉竹は中国の呉の国から竹が持ち込まれたに由来するらしい。
最初に訪れた「勝念寺」境内には早くもソシンロウバイが咲く。そして織田信長から賜った「身代釜敷地蔵尊」「閻魔法王自作霊像」が祀られており、閻魔さんの道衣も特徴がある。
「金鵄正宗」ここも風情ある酒蔵、名前の由来を教えていただく、神武天皇までさかのぼる話であった。
「大黒寺」は別名薩摩寺で薩摩藩の若手であった西郷隆盛や大久保利通らが集まった場所、寺田屋事件で犠牲となった有馬新七等九士の墓があり、碑文は西郷隆盛筆である。
「金札宮」では京都市の天然記念物樹齢1200年のクロガネモチに感嘆する。樹形がとても素晴らしい。ここで京都盆地の説明、水が豊富で221憶トンの水が地中に蓄えられている、これは琵琶湖の水量の8割に当たるとのことで掘れば水脈に、100万年前の地殻変動によるそうだ。
少し歩くと「寒天発祥の地」の立て札があり説明によると寒天は「黄檗萬福寺の隠元和尚」による命名。
「薩摩藩邸跡」は現在、松山酒造の建物、ここであの篤姫も江戸へ上る前に宿泊していた。
高瀬川沿いをしばらく歩く、エノキにヤドリギがやたら目につく、レンジャクの好む実がたくさん成っている。松本酒造の煉瓦造りの倉庫と煙突が目の前に。春先菜の花を前景とした景色は最高と思われる。
そして坂本龍馬が寺田屋で襲われた時に材木小屋で身を隠した所も確認、当時この界隈は材木小屋が立ち並んでいたらしい。
昼食は国内諸河川の整備そして高瀬川を開削した「角倉了以」の碑がある旧高瀬川の川畔でとる。
午後は「長州藩邸跡」「三十石舟乗り場」米一石は150㎏とのことで、一石は一人が一年間に食べるお米の量に当たる。
寺田屋騒動の舞台である「寺田屋」は歴史を感じる外観である。掛けられていた提灯の絵柄も面白い、刀の鍔(つば)のデザインか?
「長建寺」は独特の形をした赤い竜宮門が印象的。
「月桂冠、大倉記念館」沿いに歩き「鳥せい本店」に。ここで日本酒の話、1973年を100とすると現在は1/3の消費と激減しているが今は海外の需要が増加とのこと。
「黄桜酒造」の銘酒「黄桜」は萌黄色のサクラでギョイコウか?
「電気鉄道発祥の地」の碑、ここが国内初の電気鉄道の始まりである。
「駿河屋本店」に立ち寄るが、ここは分家で今の当主は11代目とのこと。後ほど訪ねた「総本家駿河屋」の創業は室町時代中期の1461年で今は22代目らしい。
「西岸寺」ここの地蔵菩薩に油を注いで供養したところ大いに商売が繁盛したそうだ。
「伏見納屋町小路」は最近出来たものか伏見稲荷をまね鳥居が並ぶ、そこを通り抜けると商店街に「源空寺」に立ち寄る、秀吉が伏見城から移築した二層からなる山門があった。
再び商店街に戻り京阪伏見桃山駅前で一次解散(14時20分)。残った約半数の方は京料理の名店「魚三楼」、「総本家駿河屋」の建物を見ながら「伏見奉行所跡」に行く。鳥羽伏見の戦いでは旧幕府軍の拠点であった場所。あとで聞いたが雅楽の越天楽に因む「黒田節発祥の地」の説明を受け、本日の最終は「御香宮神社」の境内へ。ここで終礼。約13000歩の散策でした(14時45分)。
松浦さんには丁寧にかつ面白く、興味深く説明をいただき感謝申し上げます。(文/澤田章夫)