さわやかな秋晴れのもとでの例会の参加者は、会員25名と一般参加6名の計31名でした。近鉄奈良駅からバスで「奈良阪」まで移動し、ここで3班に分かれて散策がスタート。講師は「ならなぎ」メンバーの上森さん、村上さん、服部さん。コースは奈良豆比古神社(ならづひこじんじゃ)を皮切りに、般若寺、五劫院を経てゴールの転害門(てがいもん)まで南下するルート。

 奈良阪は京都と奈良の境界で、かつては交通の要衝でした。奈良豆比古神社の本殿には産土神の奈良豆比古神、光仁天皇の父の志貴皇子、志貴皇子の息子の春日王を祀る3つの社が並んでおり、これらは20年ごとに化粧直しするとのこと。春日王は芸能を好み、10月8日に奉納される
「翁舞(おきなまい)」は能楽の源流にあるといわれ、国の重要無形民俗文化財に指定されました。本殿裏の敷地では樹齢1200年の巨大なクスノキを観察しました。
 次は鹿せんべいの武田商店。製造業者は奈良市内の4~5軒のみで、武田商店が最も古い。工場内は家内工業の雰囲気。店主の説明では原材料は小麦粉と米ぬか、これに水を混ぜてから焼く。せんべいを束ねるテープや印字するインクは鹿が食べても安全な材料を使っているとか。そのほか、鹿にまつわる興味深い話をしていただきました。焼きたての熱いせんべいを試食しましたが香ばしかったです。

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 次の植村牧場は明治16年創業の奈良で一番古い牧場。敷地内には牛舎のほかレストランや売店があります。ここで休憩タイム。ソフトクリームを食べる人や牛乳を飲む人などさまざま。牛乳はコクとほのかな甘みがあってとても美味でした。
 道路を隔てた対面には般若寺の楼門がそびえています。楼門とは二階建ての門のなかで、上層にだけ屋根を持ち、その周囲に欄干を巡らせた門のこと。鎌倉時代に建造され、その後の災害や戦乱から免れて現在まで残った日本最古の楼門で国宝です。このほか、鎌倉時代に建てられた十三重石塔は般若寺のシンボル的な存在とのこと。般若寺は花の寺として有名で、今はコスモスの季節。残念ながら時間の都合で境内へは入場しませんでしたので、機会を見つけてぜひ訪れてみたいです。

 次に立ち寄った奈良少年刑務所は明治時代に建てられ、2017年3月末に閉鎖されました。設計者はジャズピアニスト山下洋輔さんの祖父で監獄建築家の山下啓次郎さん。中央看守所から放射状に5つの収容棟が伸びているのが特徴ですが、ここは2026年にホテル(星のや)として開業予定です。
 般若坂にある夕日地蔵のすぐ近くには、鎌倉時代に西大寺の僧・忍性によってハンセン病患者の救済を目的として建立された北山十八間戸があります。18戸に区切られた細長い棟割長屋で、江戸時代まで使われていました。
 般若坂を下って佐保川を渡り、しばらく歩くと旧細田家住宅。奈良市内で最も古い農家のひとつ。屋根の中央部は茅葺で両端が瓦葺から成る大和棟が特徴。内部は土間と居室で構成されています。

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 すぐ近くの五劫院は東大寺の末寺でご本尊は五劫思惟阿弥陀仏。ちなみに「劫」とは非常に長い時間を表し、アフロヘア―のような羅髪は長時間考え続けたお姿とのこと。この境内で昼食タイム。
 昼食後は、東大寺別当に就任した空海が開いた空海寺を訪れ、本堂前の矢田寺から移転した矢田地蔵菩薩石像を観た後、正倉院へ。
 正倉とは公的な収蔵施設の総称で、複数の正倉が集まった一画を正倉院と称していますが、現在は東大寺正倉院内の正倉一棟だけが残ったので、これを正倉院と称しています。内部には聖武天皇と光明皇后ゆかりの品や病気治療用の薬物、そして毒草の冶葛(やかつ)、香木などが収められています。
 正倉院をあとにしてゴールの転害門へ。途中、お笑いタレントの明石家さんまさん出身の小学校の前を通り過ぎると転害門はもうすぐ。転害門は東大寺境内の西側にあった3つの門のうち現存する唯一の門。奈良時代に建てられた堂々たる門で国宝に指定されています。ここで全員集合し、午後2時前に散会となりました。

 今日は私にとって初めてのコースでしたので、奈良に対する知識が深まりました。案内していただいた講師の皆さんに感謝いたします。 (文/讃良)