昨日から心配しておりました天候でしたが、降水確率が午前は10%で行事は実施となりました。近鉄橿原神宮前駅に10時15分に集合。なんと快晴でびっくり結局解散までの間、雨が降らず、かつ気温もほどほどで最適の活動日和となりました、これも参加いただいた皆さんの日頃の行いの結果かと思っております。
 今日の参加者は22名、案内はいつもお世話になっております山下さんにお願いいたしました。橿原神宮駅からバスで飛鳥まで、「森と海の自然科」の皆さんも一緒のバスになり超満員となりましたが久しぶりの方ともお会いでき話もはずみ、良い時を過ごしました。

 バス停・飛鳥で降り「夢の楽市」で本日の行動予定を説明いただく。まず「飛鳥と明日香」の違いはとの問いがあり「飛鳥」は万葉集の中、地名の褒め言葉で「飛鳥明日香(とぶとりのあすか)」すなわち飛ぶ鳥がたくさんいることは食べ物が多くある豊かな土地。いつしか「あすか」という地名が「明日香」の文字から「飛鳥」に変わっていき定着したと教えていただいた。そして本日は「斉明(さいめい)天皇」の「石と水を使った宮跡」を巡りますとお話をされ、この飛鳥の地に約100年にわたり都があったのは蘇我氏の影響があったのではないかとのことでした。
 まずは「石神遺跡」に斉明天皇や天武天皇など複数の時代の遺構があり迎賓館もあったようで東アジア一番の文明国を目指していた。隣の「水落遺跡」には元は小学校があり統合により廃校となり、その跡地を調査したところこの場所に中大兄皇子(後の天智天皇)が造ったとされる水時計跡が発掘された。4段の箱と最下段の水槽には目盛りがあり、目盛りを読むことにより時を計り、鐘を鳴らし都に時を告げた。これにより時間の共有ができ天皇は時間を支配することができた。

飛鳥1
 少し移動して「飛鳥坐(あすかにいます)神社」に毎年2月の第一日曜に行われる「おんだ祭」は西日本三大奇祭の一つで子孫繁栄を願う祭、ぜひ来年に来ようと思う。「飛鳥東垣内遺跡」は理想郷の丘を作るため天理からこの地まで運河を造り、その遺構が発掘された所。その運河を造るため約3万人が動員されたとのこと。「飛鳥寺」へ向かう家並みは風情がありレトロで素晴らしい。礎石を見る、日本では飛鳥寺で最初に用いられたとのこと。飛鳥大仏の顔と指の一部は造形当初のものでまた石の台座にくっついているので飛鳥時代から場所が変わっていない。
 ここから少し歩き「明日香民俗資料館」で昼食をとる。午後からはこのすぐ近くにある「亀形石造物」「酒船石」見学。「亀形石造物」は亀の姿の石造物で水を流して占いに、また祭祀が行われたのか?酒造りに使用したとの言い伝えから名がついた「酒船石」は上面にくぼみと溝があり、水を流してその動きで占いをしたのではないか、さらに一部削り取り高取城の石垣に用いられたとも言われている。「飛鳥宮跡」に向かう。ここは6世紀末から7世紀後半の宮殿跡、時期の異なる遺構が重なって存在することが調査で分かっている。ここからは大和三山の「香久山」「耳成山」が、そして蘇我氏の邸宅があった「甘樫丘(あまがしのおか)」が望める。少し歩いた所が「飛鳥京跡苑池(きょうあとえんち)」ここは庭園遺構で外国使節などを歓迎する饗宴の場として利用されたらしい、日本初の本格的な宮廷庭園である。
飛鳥2
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 「吉野川分水」の説明を聞き、最終地の川原寺跡に。川原寺は飛鳥四大寺に数えられた大きな寺であったが、他のお寺(薬師寺、大官大寺、飛鳥寺)が都を移すたびに移転したが川原寺は飛鳥にとどまっている。

 ここで本日の「飛鳥の宮跡を巡る」は終了。いつもながら案内の山下さんには興味深く、分かり易く、楽しく案内をしていただき有難うございました。
(文/澤田章夫)