近鉄吉野線の飛鳥駅に集合。参加者は会員38名、一般参加3名の計41名。天気はうす曇りでウォーキング日和でした。出発前に案内役の山下さんから、「あすか」という呼び方で飛鳥と明日香の違いを教えていただきました。「飛鳥」は古代の都(飛鳥京)があった場所や、歴史的背景を指す際に使われ、「明日香」は1956年の3村合併で誕生した明日香村を指す行政地名です。
10時過ぎに駅前を出発して西へ向かい、まず、歴史を感じさせる家並みの道の途中にある岩尾山古墳に立ち寄りました。7世紀の方墳で、唯一、石室内に入ることができます。石室内は意外と広く、岩の組み方が緻密で素晴らしかったです。
しばらく歩くと、小高い丘の上に凝灰岩の切り石で復元された牽牛子塚(けんごしづか)古墳が見えてきました。八角形の古墳であさがお塚とも呼ばれています。八角形は飛鳥時代の天皇にのみ許された形で全国でも5基しかないとのことです。内部は凝灰石をくりぬいて左右2室になった石室とドーム型の天井から成り、2度天皇になった皇極天皇・斉明天皇とその娘が眠っているといわれます。
見学後、東へ約30分歩いて文武天皇陵へ。文武天皇(42代)は天武天皇と持統天皇の孫です。宮内庁管理の立派な墳墓ですが、実際の墓は近くの中尾山古墳だとする説が有力とのことです。古墳の周りを歩くと遊歩道から眺める里山風景と時折聞こえるキジやウグイスの鳴き声がのどかで印象的でした。そのあとは近くの休憩所で昼食タイム。
午後は今日のハイライトの高松塚古墳へ。高松塚古墳は7世紀末から八世紀初めに造られた2段式の円墳で、昭和47年の発掘調査で石室内に色鮮やかな壁画が見つかりました。壁画は石室の東壁・西壁・北壁(奥壁)・天井の4面に存在し、なかでも西壁の女子群像は色彩鮮やかで「飛鳥美人」のニックネームで知られています。その後、壁画は現地で保存管理されていましたが、カビの発生のため取り出して修理されました。高松塚壁画館では当時の壁画の色や劣化の様子などを忠実に復元した壁画が展示されており、その模写技術に感動しました。
次に訪れた中尾山古墳は坂道を登り切った所にある木々に囲われた小規模な古墳ですが、本来の文武天皇陵と言われています。飛鳥時代終わりの八角形の古墳で、石室が90cm四方と狭いのは埋葬されているのが火葬骨だからと考えられています。そのあと坂道を下っていくと飛鳥歴史公園館に着きましたが、あいにくリニューアルのため休館中でした。ここで小休止のあと天武天皇と持統天皇の合葬墳墓を目指しました。
しばらく車道を歩くと小高い丘の上に合葬墳墓が見えてきました。 この墳墓は八角墳です。天武天皇は兄の天智天皇の遺志を継いで中央集権国家の形成を推し進めました。持統天皇は天智天皇の娘で、天武天皇の皇后でもあったことから、天武天皇の亡きあと中央集権国家の確立に尽力しました。また、初めて火葬された天皇としても知られています。 合葬墳墓の近くに大きなまな板状の石造物と、花崗岩をくり抜き中央が空洞になった石造物があります。鬼の俎(まないた)・鬼の雪隠(せっちん)と言われ、鬼が旅人を霧で迷わせ、捕らえて爼で料理し、満腹になったあとに雪隠で用を足したという言い伝えがあります。
最後に訪れた欽明天皇陵は、明日香村では唯一の前方後円墳で、村内で最大の古墳です。欽明天皇陵のすぐ近くにある吉備姫王墓(きびひめのみこはか)の敷地内には、江戸時代に水田から掘り出された石造物4体があり猿石と言われています。7世紀頃の飛鳥時代の作と推定されています。
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ここで本日の予定は終了し、飛鳥駅に戻って14時過ぎに解散しました。ところで、飛鳥の古墳というと高松塚古墳以外には石舞台古墳を思い浮かべますが、本日はこれまで知らなかった古墳を巡ることができて良い勉強になりました。 (文/讃良)









