京とおうみ自然文化クラブ

「京(みやこ)とおうみ自然文化クラブ」は、認定NPO法人シニア自然大学校の京都府・滋賀県の地方組織です。旧ブログは左下リンク集より閲覧できます。

2024年06月

7月~10月の行事予定

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予定表はクリックで大きく表示されます

・例会行事「奈良・佐紀盾列古墳群と平城宮跡を巡る」は、当初
 10/22(火)実施の予定でご案内しておりましたが、都合により
 10/8(火)実施に変更になりました。


雨天決行以外の屋外行事について、前日17時発表の気象庁の天気予報で、
 該当地域の行事当日の午前中の降水確率が60%以上の場合、中止です。
 詳しくは当クラブの概要紹介を参照願います。

 7月末の行事予定掲載はありません。次の行事予定掲載は8月末となります。


例会 6月11日(火)「大本花明山植物園と亀岡市の歴史散策」の報告

 JR京都駅から約20分の亀岡駅に会員47名と一般参加2名の計49名が10時に集合しました。梅雨入りが延びて爽やかな晴天で、散策日和となりました。本日の担当幹事は赤對さん、高橋さん、永井さんです。駅前で観光マップが配布され、簡単な行程説明の後、駅からこんもりとした緑の小山として見える旧亀山城跡に移動しました。

 「大本花明山(かめやま)植物園」は、昭和26年(1951年)に亀山城跡の一角に開園し、約5,500㎡の敷地に山野草を中心に860種以上の植物が栽培されています。2班に分かれ植物園職員の澤田さんと植物全般に詳しい高橋さんの案内で園内を散策しました。
 園内には様々な山野草が植えられており、澤田さんからは約70種の草木を紹介していただきました。花が少ない時期でしたが、それでもホタルブクロケイワタバコキハギクモキリソウ、ギンバイソウ、シチダンカ、カンザシギボウシ、キヨスミギボウシ、ホンカンゾウクガイソウ、クロバナヒキオコシなど美しい花や蕾を楽しむことができました。園の入口と最奥部には昭和28年に当園で発見されたヤマザクラの変種である非常に珍しい「コノハナザクラ」があります。今は葉桜の状態ですが、春には八重の花を咲かせます。この桜が咲く4月上旬の前後1か月が、園全体としても花が一番多い時期になるとのことです。城の高低差や水辺を生かした植物園で、散策路が美しく清掃されていて、散策が気持ちよく、また訪れたいと思いました。なお、事前に連絡してスタッフとの都合がつけば、一人でも説明対応していただけるとのことでした。
 植物園観覧後は大本教本部のご厚意で本部の食堂を開放していただき、昼食を取りました。


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 午後からは、いったん城跡を出て亀岡文化資料館に移動し、亀岡市の学芸員の飛鳥井先生による「明智光秀と亀山城・城下町」をテーマにした講演会を拝聴しました。亀山城は戦国時代に明智光秀が築城した当初は防衛拠点としての機能にとどまっていましたが、江戸時代初期に空堀と土塁でできた惣構えを整備して城下町として発展しました。明治になり、城は廃城令により解体され荒廃していたものを大正8年(1919年)に宗教法人おおもとが購入して修復されました。なお、市の名称である「亀岡」は、明治期に三重県の「亀山」との混同を避けるために明治政府の命で改称したとのことです。講演は配布資料もいただき、深く掘り下げた内容でした。
 講演会終了後は、「ふるさと亀山ガイドの会」の井上さん、松尾さん、森さんの3名の方の案内で、亀山城跡と城下町を散策しました。城の東側の外堀跡で清らかな湧き水のある古世(こせ)親水公園を経由し、和泉式部の墓がある稱名寺、信長の墓や惣構えの遺構がある聖隣寺続きの惣構えの遺構がある宗堅寺を巡りました。ガイドの方々の説明は丁寧で、亀山城の築城から始まった街の歴史を深く理解することができました。ガイドの会に案内をお願いする経緯は、今回の当番幹事である赤對さんが下見に寄った案内所で、会の代表者の井上さんに声をかけられたことがきっかけで案内をお願いし、お引き受けいただいたとのことでした。ガイドさんからは、今回は時間の都合で城の東側を中心とした街めぐりとなりましたが、他にも見どころがたくさんあるので、また来てくださいと声をかけられました。

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 16時15分頃に城跡北側の南郷公園で解散となりました。今回は、植物観察、講演会、街めぐりと盛りだくさんな内容の例会でした。 (文/Y.K

例会 6月4日(火)「清盛の足跡を訪ね兵庫津を歩く」の報告

 京とおうみ自然文化クラブでは、初めての神戸歩き。当日の参加者46名、うち一般参加者は4名。やや曇り空だが、気持ち良い6月の街歩きとなった。神戸というと三宮周辺の市街地や港めぐり六甲山方面が定番だが、今回は古代、中世、近世、近代の神戸の史跡をぶらつく。神戸の歴史のメインは「湊」で、大和田の泊、兵庫津、神戸港のゆかりの地をめぐった。松浦さんの軽妙な語り口で神戸の街歩きが楽しめた。

 ➀JR神戸駅の正面。明治初期の鉄道史を飾る話から、明治5年の新橋―横浜間の開通に続く、明治7年の大阪―神戸間の起点駅。大阪―京都間と続き、京都―名古屋間の東海道線の開通は明治22年。神戸駅は東海道線と山陽本線の分岐駅で、分岐標識がホームにもあるらしい。駅高架下のコンビニには貴賓室も保存。続いて②湊川神社、かの有名な楠木正成を祀る神社で、明治維新後に忠臣楠木正成を明治5年に顕彰するため創建。正成はすぐ近くの湊川合戦で敗死(湊川は今は埋め立てられ新開地通り)。
 次の史跡は③江戸時代の西国街道碑。西国街道は京都東寺からで、終点は下関、大宰府とか諸説あり。あとで⑧札場の辻跡に行くが、西国街道の大きく曲がる場所に「札の辻」があり、幕府の高札が掲げられた所。④西出町の鎮守稲荷神社は小さな神社だったが、平経俊の墓(弟敦盛は平家物語で笛の名手で熊谷直実に討たれた)、また北前船で財をなした豪商高田屋嘉兵衛の寄贈の石灯篭、昭和15年頃につくられたビリケンさんの像などがあり。奥の社殿内部を覗きにいくと、中にふくよかな顔の像があった。

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 少し歩いて⑤七宮神社へ。生田神社の八社巡りの一つで兵庫津の産土神で、平清盛が社殿造営とのこと。福原遷都の際に守護神として尊崇され、以後平家一族の崇拝を集めたといわれる。境内にサンゴジュの白い花が咲き誇っていた。このあたりから平清盛関連の史跡が多くなる。⑥来迎寺(築島寺)は、清盛の経が島を築く時、人柱になった讃岐の少年松王丸を弔うため建てた寺。またこの寺には清盛の寵姫妓王、妓女姉妹の石碑あり。境内を出てすぐに⑦古代大和田泊の石椋(いわくら)があり、当日は小学生の社会見学らしく、多数の小学生がガイドさんの話に耳を傾けていた。清盛の福原遷都の理由となった日宋貿易の拠点がこの地であって、後に「兵庫津」となっていく。清盛は、風待ちのための港湾整備のため経が島の造成を行った。清盛の遷都はわずか半年、新政治の夢は64歳の死でついえた。⑨能福寺境内には、平清盛の立派な墓が「平相国廟所」として祀られていた。ここには、11メートルの兵庫大仏1991年再建、大日如来像)が目を引いた。ここで全員の写真撮影をする。また大正天皇妃貞明皇后の実家九条家より下賜された拝殿もあり。能福寺は、伝教大師最澄が遣唐使から帰国して最初に説教した地。
 昼食は、⑩兵庫城跡の石碑を見た後、運河沿いにある元中央卸売市場で現イオンあたり。午後は⑪兵庫の津ミュージアムの見学と復元されて真新しい建物「初代兵庫県庁」の建物を見る。江戸時代の兵庫勤番所が、明治初年に兵庫県庁舎で使われていたとのこと。
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(写真はクリックで大きく表示されます)
 最後は地下鉄で新長田駅まで移動、⑫鉄人28号モニュメントを見る。1995年1月の阪神淡路大震災の被害の大きかった新長田の公園の15メートルの巨大な像だった。横山光輝「鉄人28号」は、70歳代の人間にとって馴染み深い愛読マンガだった。   (文/木全)

研修会 5月30日(木)「季節の植物観察」の報告

 本日の研修会は、今年初めて来た台風1号も気にならないような心地よいお天気になりました。そのせいでしょうか、会員31名と実習生3名、一般1名、科学実験科(10人)の計45人の参加になりました。赤對さんの挨拶のあと、今日の講師の新堀さんと海老原さん、高橋さん、そして実習生の紹介がありました。(12時30分森のカフェ前で解散)

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  私は海老原班に入りましたが、京都植物園の「なからぎの会」でボランティア活動をされているので開園100周年と言う事で「食草園」をJT生命誌研究館と共同企画で作っているという話、ヘリテージツリーズ(歴史遺産樹木)という標識を園内38か所に設置されたという話もお聞き出来ました。

 まず、最初のイモカタバミムラサキカタバミは、雑草化して園内でも普通に見かけますが、きっちりと整理された説明と掘り取った根っこを見せて頂いたので違いがよく理解できました。イモカタバミは、雄しべの葯の色は黄色で地中に塊茎と呼ばれるイモを次々とつくり、これで繁殖していきます。なるほど大群落をつくっています。ムラサキカタバミは鱗茎で増えていくそうです。
 植物園の過去からずっと見守ってきたような風格のあるカツラは、お宝の歴史遺産樹木ですね。
 アブラチャンが地面の方まで枝を伸ばしています。剪定しないのは、「来園者に近くで、しっかり見て頂きたい」という思いだそうですので、そっと通りました。
 ミツガシワは氷期の遺存種として点々と分布しているそうですが、京都府の深泥池にまとまった群落があるのですが、近年シカの深刻な食害で減少しているようです。「こんな可愛い花です」と、画像を見せて頂きました。
 花の形とつき方が帆掛け舟を吊り下げたように見えることに由来するツリフネソウ。この花の構造はわかりにくいですね。オオハンゲは、サトイモ科独特の仏炎苞をつけるマムシグサの仲間です。

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  イワガラミは、ツルから気根を生じて大きな岩や木に絡まりながら育つので名付けられたアジサイ科のツル性植物です。ツルアジサイは装飾花が違うので花が咲いていれば間違うことはないと言う事です。ハナイカダは、葉の真ん中あたりに黒っぽい実をつけていました。 最初、見かけたときは、 「えっ、なにこれ ?」と思いました。葉の中央につく花を、「筏に人が乗った姿」に見立てたそうです。
 ササユリ 淡いピンクの百合が咲いていました。清楚で上品な花姿です。葉っぱが笹に似ていることからササユリと呼ばれます。
 メタセコイア「生きた化石」として昭和16(1941)年に三木茂博士によって学名登録されました。春の芽吹き・新緑、夏の深緑、秋の紅葉、四季折々に魅了しています。
 ここからオオバオオヤマレンゲを見に「なからぎの森」へ移動しました。良い香りで、やや下向きに咲く白くすっきりした大きめの花です。花が下向きに咲くのは、雨から花粉などを保護する説があるそうです。
 外敵の侵入を防ぐ目的で垣根として使われるカラタチは、葉から変形した鋭いトゲが交互に並ぶためだそうです。 文化勲章のデザインになっているタチバナも近くにありました。右近の橘と言うのは、京都御所の紫宸殿の庭に植えられた、桜と橘によるものだと言う事です。アイラトビカズラはマメ科つる性の常緑木本で、日本国内でも貴重な植物とされています。花粉媒介するのはコウモリだそうです。
 美しい紫色が多いハナショウブですが、白や黄色、ピンクも咲いて見頃を迎えていました。難しいアヤメ科の花の見分けは、ハナショウブは黄色い筋、アヤメには網目模様、カキツバタには白い筋がついていると画像で説明してもらいました。

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(写真はクリックで大きく表示されます) 

 今日は、海老原さんの大好きな園の植物をわかりやすく紹介したいという思いが終始伝わるような話し方で終了しました。   (文/大)