京とおうみ自然文化クラブ

「京(みやこ)とおうみ自然文化クラブ」は、認定NPO法人シニア自然大学校の京都府・滋賀県の地方組織です。旧ブログは左下リンク集より閲覧できます。

2023年11月

12月~02月の行事予定

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予定表はクリックで大きく表示されます

雨天決行以外の屋外行事について、前日17時発表の気象庁の天気予報で、
 該当地域の行事当日の午前中の降水確率が60%以上の場合、中止です。
 (2月16日のみ50%以上で中止)
 詳しくは当クラブの概要紹介を参照願います。


研修会 11月15日(水)「季節の植物観察」の報告

 今日の京都は寒いと思い、いっぱい着込んで行ったのですが、先日の寒さとは違い、日差しもあり、ちょうどいい観察会日和になりました。参加者は、実習生2名を含み合計19名といつもより少なめの参加でした。案内は、新堀さん、高橋さん、2班に分かれて観察開始。私は、高橋さんの班に参加させていただきました。

 まず、北門に入って、すぐに目につくのが、たくさんのビオラを植えて円錐状にした〈ビオラタワー〉。案内の高橋さんが所属する植物園のボランティア活動をされている「なからぎ会」の方々が作成されたそうです。植え込みにあたっては、大量の肥料が投入され、毎年、こまめに花殻を摘み、11月上旬から翌年ゴールデンウイークまで次々と花が咲き、来園者を楽しませてくれるそうです。ボランティアの皆さんの働きにより、いつもきれいな花を楽しむことができるのですね。

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~ワイルドガーデン及びその周辺の植物を観察していきます~
〈カエンキセワタ〉
 火炎のように燈紅色の花です。花冠がライオンの耳に似ていることからライオンズイヤーとの別名もあります。全体的に短毛が密生し、葉には芳香があり、精油も持っているそうです。
〈ホウキギ〉
 こんもりと丸い形がかわいい、果実は、秋田県特産のとんぶりです。高橋さん作成のホウキギのかわいい箒を披露してくださいました。
〈ブルグマンシア〉
 別名エンジェルストランペット、下向きのラッパ状の縦長の花です。〈ダチュラ〉は上向きです。どちらも毒性が強い。昔、華岡青洲が乳がんの手術の際に使った麻酔にこの花の成分を使用したそうです。
〈フウセントウワタ〉
 ハリセンボンのようなトゲ(柔らかい)のある果実がユニークで、下向きに咲く花が果実に比べて小さくてかわいい。花と果実が同時に見られます。またキョウチクトウの仲間で毒があります。果実は成熟すると縦に裂け、綿のような種が飛散するらしいです。

 ワイルドガーデンの南から西を向くと〈ケヤキ並木〉が眺められます。本来ならば、この時期、ケヤキの紅葉がきれいなのですが、今年は、紅葉せずに落葉してしまっています。今年は酷暑だったせいでしょうか?種が付いた落ち葉で風を利用してタネを散布すること確認をしました。

〈オニグルミ〉
 上を見上げると、たくさんの果実が付いていました。地面には、きれいに半分に割れている殻が落ちていました。半分に割るのはリス、穴をあけるのはネズミだそうです。園内にリスがいるのでしょうか?
 某ゴム会社のスタットレスタイヤは、クルミの殻を混ぜ混んでいるそうです。クルミの殻は、氷より硬く、アスファルトより柔らかいので、氷をひっかき、アスファルトを傷つけないということで、環境に優しいですね。
〈カラコギカエデ、トウカエデ〉
 この時期、紅葉がきれいのに、紅葉しないで枯れていました。これも今年は酷暑だったせいでしょうか?紅葉が見ることができなくて残念。

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~ワイルドガーデンから、南に進む~
〈ハナノキ〉
 先日まで、紅葉がきれいだったらしい、もう終わっていました。残念。
〈カリン〉
 果実は落ちてしまって残っていませんでした。樹皮はきれいな迷彩柄が特徴、樹皮はめくれて成長します。カリンは、「借りん」借金をしない意味で、家の表に植える風習があるそうです。

~アジサイ園の方へ進みます~
〈セイヨウハシバミ〉
 ヘーゼルナッツの木です。雄花がぶら下がり、大きな葉が特徴です。
〈アメリカハシバミ〉
 たくさんの雄花がぶらさがり、実はセイヨウハシバミより一回り小さいです。
〈シラキ〉
 名前の通り、樹皮が白くてなめらか。白い樹皮に紅葉が映えます。葉は、柿の葉に似ています。果実の中の種が、うずら卵模様で、かわいい。
〈フウ〉
 紅葉がきれい。
〈アキニレ〉
 落葉樹としては葉が肉厚、小さく、鋸歯がギザギザで非対称。植物園が開園する以前、約樹齢300年と言われている。

~東西約200mにわたる樹齢100年近くの〈クスノキの並木道〉に出てきました。西(正門)の方へ進みます~
 この並木道は、川端康成の小説「古都」にも登場しています。最近は、結婚式の前撮り撮影として人気の場所です。並木道添いには、牧野富太郎命名の〈ヨコグラノキ〉〈シーボルトノキ〉があります。

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(写真はクリックで大きく表示されます)
~正門付近に到着~
 正門花壇には、青い〈パパイヤ〉の果実が鈴なりになっていました。この付近では、樹齢約110年の立派な〈ヒマラヤスギ〉その他〈ハリモミ〉〈ムクノキ〉〈イチョウ〉〈シリブカカシ〉を観察しました。〈シリブカカシ〉は、秋に開花するので、翌年秋に熟する緑のどんぐりと花が一緒に見ることができます。どんぐりの底部に凹みがあるため「尻深」と呼ばれるようになりました。また、どんぐりが白くみえるのは、ロウで覆われているからで、磨くとピカピカになりました。
 最後に大芝生地を横切り、世界三大紅葉である〈ニッサボク〉〈スイバノキ〉〈ニシキギ〉を観察し終了となりました。たくさん歩きました。実習生の方が「花が好きだが、今日参加して、木もおもしろいと思った。」との感想を述べられていました。木にも興味を持たれたみたいで、よかったです。案内の新堀さん、高橋さん、ありがとうございました。   (文/AN)

例会 10月18日(水)「応仁の乱ゆかりの地を訪ねる」の報告

 秋晴れの良い天気だった。10月18日の午前10時、京都地下鉄今出川駅に33名が集合。本日の案内役はお馴染みの松浦さん。
 応仁の乱は、14世紀の前半(1336年)足利尊氏が開いた室町幕府の中頃に起こった内乱である。応仁元年(1467年)に発生、文明9年(1477年)までの11年間にわたった。幕府管領家の畠山氏、斯波氏それぞれの家督争いから、東軍の細川勝元と西軍の山名宗全の勢力争いに発展し、八代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、全国に争いが拡大した。京都を焦土化しただけで、なんら勝敗を決することなく終結、戦国時代へ突入した時期である。

 その時代背景を少し頭にいれながら、最初に訪れたのが「室町第跡」。三代将軍足利義満の館があった所で、室町殿あるいは花の御所と呼ばれた。乱の当時は、義政・富子夫婦が住んでいたという。大聖寺門跡との表札をくぐると花の御所を記した大きな石碑が樹々に隠れて置かれていた。

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 次に薩摩藩邸跡碑や藤原定家の子孫・冷泉家住宅の外観を見て回り、義満創建の相国寺(しょうこく)寺に入った。京都五山第二位の臨済宗寺院であり、八代将軍義政の墓と共に定家、伊藤若冲がまつられ、承天閣美術館(有料)を併設している。東軍の拠点となった当寺の伽藍はことごとく灰になった。松浦さんから、相の本来の意味は、木の目利きで、そこから人の目利き、国の目利きとなった。また、相をしょうと読むのは、首相・宰相と同じく、相国とは国を治める、助けるという意味があると聞き大変勉強になった。もともと創立当初は、約144万坪の寺域がある、広大な寺であった。現在は南に同志社大学、北に京都産業大学付属の中学・高校がある。現在の寺域は4万坪となっている。
 応仁の乱発祥の地とされる上御霊(かみごりょう)神社がすぐ近くにあり、「こころしずめ」の社として有名。この西側の烏丸通を北へ上り、鞍馬口駅を左折すると幕末の薩摩藩士小松帯刀邸跡。薩長同盟の締結場所であり、近衛邸別邸(御花畑屋敷)とも呼ばれる。
 小川児童公園で昼食後、上京区百々(どど)町の宝鏡寺へ。光厳天皇の皇女・恵厳禅尼が開山。その後歴代の皇女が入られ、別名「百々御所」とも呼ばれた。その縁で、代々の天皇が人形を贈られたため、人形の寺としても有名。人形供養祭は年1回行われる(本年は中止)。

 寺を出てバス停堀川寺之内を南へ下ると山名宗全の屋敷跡。室町時代の守護大名で、応仁の乱では西軍の総大将。すぐ近くの京都市考古資料館の前に「西陣跡」の石碑がある。西陣・西陣織の名称も宗全率いる西軍が陣を敷いたことに由来する。
 法華宗真門流総本家の本隆寺は1488年日真により建立。現存する本堂は江戸前期明暦3年(1657年)の再建で、入母屋造り、本瓦葺きの七間堂である。1788年天明の大火では西陣一帯が焼け野原となったが、本隆寺の本堂・祖師堂・宝庫は類焼をまぬがれた。このことから「焼けずの寺」の別称を持つ。京都の日蓮諸宗本山寺院では最古。本隆寺を南へ下ると「首途(かどで)八幡宮」がある。源義経が奥州への旅立ち前に祈願したところである。

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(写真はクリックで大きく表示されます)
 後鳥羽上皇の院御所として使われていたという「五辻(いつつじ)殿跡」も近い。石碑があり、五辻通×千本通の交差点には五辻の昆布・本店がある。京土産として有名らしい。十分ほど西へ歩くと大報恩時となる。国宝に指定されている千本釈迦堂である。鎌倉初期の安貞元年(1227年)、義空上人によって創建された。応仁の乱で唯一難を逃れた寺であり京都市街最古の木造建築である。ここで、境内のおかめの面について、松浦さんから、棟梁の永井高次と、妻、阿亀の天柱をめぐる話は印象深いものでした。
 最後に日本最古の花街・上七軒の街並みを通り抜け、帰途についた。(文/吉田)