五個荘地区の中でも近江商人の屋敷が集中するエリアを五個荘金堂と呼ぶが、その名前は聖徳太子がこの地に金堂を建立したという伝承に由来するとのこと。五個荘に近江商人が多く生まれた理由は、京都に近く、東海道や中山道があるため物や情報の通り道であったこと。「三方よし」とは「売り手によし、買い手によし、世間によし」のことで、商売を通じて社会貢献する精神がある。
プラザ三方よしから少し歩くと金堂地区に入る。道路沿いに流れる水路は鈴鹿山系からの水と地下水が合わさり、金堂地区の生活用水として利用されている。商人屋敷の敷地は広く、舟の底板を再利用した舟板塀が水路沿いに続く。私のチームの最初の立寄り場所は金堂まちなみ保存交流館。外山宗兵衛や中江富十郎が過ごした邸宅。この時期は金堂地区のひな人形めぐりの期間中で、室内には木目込み人形のおひな様や布花ひななどが展示されていた。屋敷の外へ出ると、道路沿いには随所に町の人が作ったひな人形が飾られている。
次は中江準五郎邸。中江準五郎は大正時代から戦前まで朝鮮半島や中国で三中井(みなかい)百貨店を築いた中江4兄弟の末弟。戦前まで約20店舗を経営したが第二次世界大戦での敗戦を機に廃業。室内には多くのひな人形が展示されていたが、なかでも人形師・東之湖作の清湖人形が衣装の美しさとスケールの大きさで人目を引く。ひな壇方式ではなく、部屋いっぱいに配置されたひな飾りは壮観である。ひな飾りには年代や地域によって飾り方が違い、たとえば台所用品を飾るのは関西独特らしい。蔵には郷土民芸品「小幡でこ」や全国の土人形が展示されていた。庭は池泉回遊式で池のまわりには石灯籠や巨石が置かれて趣がある。
道路脇の民家の茅葺屋根の所々に置かれたアワビの貝殻は、鳥除けと火除けのおまじないとのこと。
外村繁は外村家の三男として生まれ一時家業を継いだが、その後、弟に家業を任せて作家活動に専念。商家を題材にした小説が多い。隣接した蔵は文学資料館になっている。各部屋には歴史ある多くのひな飾りが置かれ華やかである。窓から望む日本庭園も美しい。台所の自家水道は井戸から汲み上げた水を重力差で風呂桶に溜める方式なのが面白い。本家の外村宇兵衛邸は1棟貸しの宿泊施設になっているとのこと。
次は弘誓寺(ぐぜいじ)。開祖は那須与一の孫の那須資長(すけなが)。門前の水路には錦鯉が優雅に泳いでいた。大きな本堂は国の重要文化財で滋賀県では延暦寺に次いで2番目に大きく、東本願寺の阿弥陀堂のモデルになった。境内に置かれたコンクリート製の釣鐘は、第2次世界大戦で金属製の釣鐘が供出された後に鐘楼がずれないように重し代わりに使われたとのこと。
弘誓寺を出て浄栄寺、安福寺の前を通り、少し歩くと最後の立寄り地の大城(おおしろ)神社。道路沿いの巨大な石で作られた石垣は昭和天皇の即位を記念して設置された。高皇産霊神(たかみむすひのかみ)や菅原道真公などをお祀りしており、昨年のNHK朝ドラ(カムカムエヴリバディ)のロケが行われた場所として一躍有名になった。ここで集合写真を撮影して12時半頃に現地解散となった。
今日はガイドさんの説明で近江商人のことをよく知り、ひな人形を楽しめた有意義な一日であった。(文/讃良)




