昨夜来の雨が上がった朝10時、蹴上駅には会員20人+一般1人の計21人が集まりました。案内と説明は「京の大仏ゆかりの地を巡る」に続き、今年3回目の山下さん。事前に配布された分かり易い地図に従い、スタートしました。
まずは蹴上駅前の浄水場の説明など聞いた後、日向大神宮の入り口前を通って疎水に向かう。琵琶湖疎水は明治になって天皇が東京に移った後、京都の産業振興のため、舟運、水力、灌漑等に利用するために開削。南禅寺周辺に工業地帯を作る計画だったが、水力発電に利用されたために工場計画は中止となり、その場所は、山形有朋の無鄰菴等の別荘地となったとの事。
疎水近くのインクラインや蹴上の地名の由来となった義経地蔵を見て、疎水工事担当技師だった若き田邉朔郎氏の像の前を通り、水路閣を上から見て、南禅院を門から眺め、水路閣の下へ。当初トンネル開削を予定していた場所が亀山上皇の分骨所に当たったため計画が変更され水路閣が作られた。ここで記念写真を撮り、11時頃南禅寺に。
南禅寺は日本初の勅願禅寺で、亀山上皇が妖怪に悩まされていたところ、無関普門が退散させたので、開山に請じた。京都五山の筆頭とされていたが、足利義満が相国寺を筆頭としたいがために、南禅寺を別格上位とした。しかし義満の死後は相国寺は二位に戻された。法堂前から三門へ。2層、高さ22mあり、石川五右衛門で有名だが、実際には五右衛門の死後のもの。このあたりで有名な湯豆腐は、門番が副業で旅人に提供したのが始まりとか。
次に工場予定地が変更されたという南禅寺界隈別荘地を通り抜け、岡崎神社前へ。コマ兎で有名だが時間の都合で通り過ぎ、金戒光明寺へ。京都守護職本陣と記された高麗門は、通常は寺院には用いられない城門で、寺内には城郭のような石垣が多い。御所に近く京を一望できる立地から、江戸時代に知恩院とともに改修されていたため、本陣となったとの事。
金戒光明寺は浄土宗で、念仏発祥の地とされる。後小松天皇宸筆の扁額の掛かった山門、阿弥陀堂、法然上人の御影堂、京都守護職松平容保が新選組と会った大方丈を見て、蓮池周辺で12時10分から40分まで昼食。
休憩後、会津藩士の墓地へ向かう。螺髪が大きな五却思惟阿弥陀の横を通り過ぎると、藩士の涙か雨が降り始め、一時は霰も混じるなか、松平容保公の像を見て、真如堂へ。
真如堂の本尊の阿弥陀如来は「うなづきの阿弥陀」と呼ばれ、女人を救いたまえ、と言うと阿弥陀像が頷かれたという。また境内には「京都映画発祥の地」の碑がある。これは牧野省三が明治41年、真如堂で「本能寺合戦」を撮影したため。
雨が降ったり止んだりする中、真如堂を出て陽成天皇陵の横を通り、吉田山荘を門前から眺め、宗忠神社と歩く。逆立ちした狛犬が珍しいこの神社は、京の見晴らしが良く、明智光秀がここに城づくりをするよう織田信長に勧めようとしたが、まだ新参者であったため進言できなかった。もし城が出来ていれば、本能寺の変は起こらなかったかも、とのお話。
13時20分頃、最終目的地の吉田神社の斎場所大元宮に到着。平面八角形の背後に平面六角形の後房を付す特異な形式の社殿を持ち、全国3132座の神様を勧請しており、ここに参ると全国の神社に参ったのと同じ効験があるという。さらに、末社の山蔭神社(包丁の神様)、菓祖神社(お菓子の神様)の前を通り、本宮へ。本宮にお参りし、ここで本日は終了。13時45分、解散となりました。
前半は結構暖かく、後半は雨が降って少し寒くなりましたが、歩きやすいコースで、山下さんには平安時代から明治まで、幅広く興味深いお話を、分かり易く解説していただきました。ありがとうございました。 (文/O.I.)










