このあたり一帯、鳥羽離宮跡は京都市南区上鳥羽、伏見区下鳥羽・竹田・中島の付近で敷地面積は180万平方メートル(甲子園球場の約45倍)、相当な広さである。歴代の天皇陵があり、近衛天皇・鳥羽天皇・白河天皇の各陵をたずねた。
途中11時頃、「北向山(きたむきざん)不動院」を訪ねた。これは1130年、病にかかった鳥羽天皇が病気平癒のために寺院を建立、勅願寺としたもの。ここの本尊は不動明王で平安京を守るため北を向いている。それで「北向き山」と名付けられた。松浦氏から、仏像には、如来・菩薩・明王・天(部)の4種があると教えられた。
国道を渡ると白河天皇陵だが、白河天皇は退位した後も上皇となって実権を握り、堀河・鳥羽・崇徳3代に渡って幼主を擁し、43年間にわたり院政を敷き、時の権力者となった。すぐ近くに西行法師が鳥羽上皇の北面の武士であった頃の邸宅跡があり、何とも貧相で小さな祠であった。ちなみに、北面の武士は上皇の身辺を警護することが仕事。
城南宮の枝垂れ梅




