参加者の殆どがコロナワクチンを受けた中で、久しぶりの大阪での歴史と文化行事に28名の参加でした。講師は古代歴史に詳しい高橋勲さんです。阪急南方駅から、徒歩で800mの新淀川大橋を渡ります。ここで、大阪の街を淀川の氾濫から守るためにオランダ人土木技師のヨハネス・デ・レーケの指揮のもと、上流部の山での植林から、各種の水制の工夫など淀川の改修工事が行われた。やがて、新淀川が開削され川幅も広げられ、真っすぐ海に注ぐようになって水害が減ったとの事でした。しかし、4車線の御堂筋に地下鉄も通る橋は揺れもあって、車で何度も通った事はありますが、歩いて渡ったのは初めてで興味深い経験でした。
橋を渡り、難波長柄豊碕宮に着き、高橋さんから、古代の王朝の都の変遷のお話を聞きました。また、ここが孝徳天皇の住まいで、地下鉄ルートで向かった谷町の「難波宮」には、藤原氏の妨害で入れなかったとの事です。広大な「難波宮」は無数の柱跡が認められるも放置に等しいのも皇統に占める九州王朝の故かと思いました。
橋を渡り、難波長柄豊碕宮に着き、高橋さんから、古代の王朝の都の変遷のお話を聞きました。また、ここが孝徳天皇の住まいで、地下鉄ルートで向かった谷町の「難波宮」には、藤原氏の妨害で入れなかったとの事です。広大な「難波宮」は無数の柱跡が認められるも放置に等しいのも皇統に占める九州王朝の故かと思いました。
「難波宮」で昼食後、大阪歴史博物館の柱跡を見学後、徒歩で大阪城に向かいました。一般のルートから外れて、豊臣時代の石垣が見つかった工事現場を見学し、天守閣から淀君自刃の地を経て、JR大阪城公園駅に向かいます。大阪城公園から玉造に向かう電車の中はクーラーが効いていて、2駅で降りず環状線を一周しようか、との声も出るのは午後になって日差しが強くなってきた為です。
玉造駅から徒歩で、真田幸村の「真田丸」を見学するも、高橋さんから、ここは実際の「真田丸」ではないとの説明がありました。改めて独特の墓標が尖った戦死者を弔う陸軍墓地を横切って、大阪明星学園高等学校のグラウンド横の石碑の前で、ここが本当の「真田丸」と説明を受けました。古代から近世にかけて「上町台地」が、大阪湾や河内湖に突き出た半島状にあって、「難波宮」「大阪城」等が立地したのが、実際に歩いてみて、その高低差を感じ大阪の歴史になるほどと納得した1日でした。歩数は久しぶりに南方駅から1万5千歩を越えて、帰宅後のビールと土用の丑の日のうなぎが旨かったのがご褒美でした。 (文/事務局KS)
2021年7月28日(水)9:30~
2021年7月28日(水)9:30~