京とおうみ自然文化クラブ

「京(みやこ)とおうみ自然文化クラブ」は、認定NPO法人シニア自然大学校の京都府・滋賀県の地方組織です。旧ブログは左下リンク集より閲覧できます。

11月19日(火)「草津市立志津南小学校4年生りょうぶの道観察会」の報告

 滋賀県草津市立志津南小学校4年生の子どもたちに、身近で豊かな里山の自然を感じ取ってほしいという願いを込めて、学校近くの自然観察道「りょうぶの道」でコロナ禍での中断をはさみ、15年前から毎年、観察会を実施しています。「りょうぶの道」とは、湖南丘陵を切り開いて造成され、1983年から分譲が開始された住宅地である草津市若草と大津市青山にまたがる牟礼山(221m)の稜線に沿って続く自然観察道です。立命館大学のキャンパスとも接しています。

 午前9時出発。学校から歩いて15分で「りょうぶの道」の入り口に到着しました。坂道を少し上っていくと、カリンの木があります。事前に準備していたカリンの実の輪切りを見せ、甘い香りをかぎ、カリンのど飴の写真を見せました。木の特徴や固い実がのど飴に使われていることを説明すると、興味深く話を聞いています。

 紫色のかわいい実がいっぱいついた木を見つけた子どもがいます。「滋賀県にゆかりの深いNHK大河ドラマの主人公と同じ名前だよ」と言うと、ムラサキシキブとすぐさま答えが返ってきました。赤い実から黒い種がのぞいているゴンズイ。「幹の模様が魚に似ているから、ゴから始まる魚の名前と同じだよ」とクイズを出すと、魚博士の子がサッと手を挙げて「ゴンズイ」と答えてくれました。鋭いとげのサルトリイバラがありました。このとげのあるつるに絡まるとサルも動けなくなってしまうからこんな名前がついたことや、ルリタテハの写真を見せ、幼虫が食草としていることを紹介しました。

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 牟礼山の山頂付近にたくさん生えているので「りょうぶの道」という名前がついたのですが、子どもたちが歩く前半のコースにはリョウブの木が見られません。ちょっとわき道に入ったところにリョウブの木があります。昔は「救荒植物」として里山に植えられ、新芽を山菜として混ぜご飯にして食べたことを話しました。子どもたちは、すでに葉が落ち、樹皮が剥がれすべすべしている幹だけになった木をなでながら熱心に聞いていました。

 植物観察だけではなく、地層の観察もしました。下り坂の道の側面が小さな崖になっていて、丸くていろいろな色の小石が土の間にはさまっているところがあります。山の上にこんな丸い小石があるのは、大昔、このあたりが川だったこと。そして、川底にあって角が取れて丸くなった小石が地殻変動で持ち上げられて、今はこんな山の上にあるということを説明しました。何十万年も前の大地の変動の様子をうまく思い浮かべてくれたでしょうか。時間ほどかけてゆっくりと歩きながら「りょうぶの道」の自然観察を続けていきました。

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 「りょうぶの道観察会」実施に向けてご尽力いただいた澤田会長や事務局の皆さま、「森の先生」や「サポーター」としてご協力いただいた会員の皆さま、本当にありがとうございました。来年度も、「りょうぶの道観察会」の実施が予定されています。ぜひ、ひとりでも多くの皆さまに子どもたちと関わっていただけることを願っています。 (文/岡本哲生)  

12月~3月の行事予定

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予定表はクリックで大きく表示されます

雨天決行以外の屋外行事について、前日17時発表の気象庁の天気予報で、
 該当地域の行事当日の午前中6時~12時)の降水確率が60%以上の場合中止です。
 3/26例会「山科疎水の桜を愛でる」のみ、午前午後どちらか50%以上で中止です。

 詳しくは当クラブの概要紹介を参照願います。



12月3日例会「淀川河畔林での冬鳥観察会」中止のお知らせ

「京とおうみ自然文化クラブ」会員の皆さま

 掲題の件、先日の現地の下見で、淀川河畔の木や草の大がかりな伐採・除去工事が行われていることが分かりました。工事は国土交通省の管理下で2月末まで行われるようで、伐採理由は、台風などで淀川が増水して木が倒れて流されると下流で被害が出る可能性があるためとのことです。

 工事の様子からとても観察会ができる環境にはありませんので、残念ですが12月3日の観察会は中止いたします。

 本観察会を楽しみにしておられた方には申し訳ございませんが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。


例会 11月7日(木)「岩船寺と浄瑠璃寺・当尾の石仏を巡る」の報告

 前日の天気予報は、曇りのち晴れ、最高気温13℃、北の風4mで、晴れたり曇ったりのひんやりした「立冬」らしい朝になりました。しかし、JR関西本線の遅れはあったものの、加茂駅前に会員41名と一般1名の計42名が集まり、小雨予報もあって参加者が10名と少なかった5年前とは様変わりでした。出発を前に、講師の山下さんから、かつて、明治の終わり頃に、ここから奈良に向けて「大仏鉄道」があったことが説明されました。

 9:44発の小型の木津市のコミュニティバスの後ろに「増便」された、我々の臨時の大型バスが続いて出発です。これは最大30名が定員のコミュニティバスの増発を、市に掛け合ってくださった澤田さんの労のおかげです。バスはくねくねの山道を、約20分をかけて「花の寺」としても著名な、創建729年の岩船寺に到着です。
 朝礼の後、早速、住職の法話を本堂の像高約3mの平安時代作の重文、阿弥陀如来坐像を前にお聞きしました。南山城や当尾の謂われ、とりわけ、奈良南都の仏僧の修行の地として、庵が寺院となり、伽藍や塔が山の尾根のように立ち並ぶさまが「塔尾」とされ、やがて「当尾」になったこと。そして、本尊の阿弥陀像は946年の作で、その107年後の平等院の像のような金箔の豪華な光背ではなく、衣の色も赤い先駆的な像であると話されました。ご住職からは、人は、いつも生かされていることに目覚め,生あるものは、仏に近い生き方を心に、不平不満を持たず感謝で生きるように、自分の生き方を学ぶ事が大切とのご法話でした。その後、本堂内の諸仏を拝観後、重文の「隅鬼」が印象的な三重塔を見下ろしながら広場でベンチに腰を下ろして昼食です。

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 午後は、膝を痛めている私や数人を残し、皆は境内の急な山道を登って「貝吹き岩」に向かいました。ここは、かつて、周辺にあったとされる39坊の僧を集める為に、この岩に上がってホラ貝を吹いた場所と伝えられている所です。年前と異なり、周囲の樹木が伐採されていて、正面に生駒山、右手に京都の愛宕山、生駒の向こうには北摂のポンポン山が一望のもとだったとの事、個人的には、無理しても登るべきだったかなとちょっと反省です。いっぽう、講師の山下さんから、人の心を癒してくれる花は、小さな仏様、とりわけお寺に多い睡蓮は4,5日咲いた後、枯れると水に沈み、醜い姿を見せないとのお話が印象的でした。また、余韻が素晴らしい響きの鐘をついて祈る方も多くいらっしゃいました。
 午後1時、この頃から陽射しも出て暖かくなってきて、本番の石仏巡りですが、人数が多く、人ひとりが通れる山の中の踏分け道は通らず、舗装された車道を歩いてミロクの辻を目指しました。途中、クコのピンクの花と赤い実などを観察しながら20分を歩きました。ここで岩に彫られた弥勒仏線彫摩崖仏、続いて代表的な「わらい仏」「ねむり仏」を訪ね、途中、立派なテングタケに歓声をあげながら「カラスの壺二尊」、「あたご灯篭」を経て「藪の中三尊摩崖仏」に至りました。岩船寺に次いで、ここでも、当尾名物の「吊り店」があって、実が黄色いキツネの頭のようなフォックスフェィスが人気商品でした。お値段は5年前と変わらず100円で、浄瑠璃寺に向かう道からは畑に栽培されているフォックスフェィスも見えました。
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(写真はクリックで大きく表示されます)
 14:15
最終目的地の浄瑠璃寺に到着し、中島のある宝池の東側の三重塔で恒例の集合写真を撮影、その後、本堂前でご住職から、仏像の指の結び方を示す印相ほか、仏教知識を主にしたユーモアを交えた法話をお聞きしました。お話では、ここは京都府ではあるが、南に200mで奈良県になり、文化は奈良である。真言律宗の教えとして、命は東で生まれて薬師尊に送られ、西で阿弥陀尊に迎えられる。その為、まず三重塔の薬師如来を拝し、池の畔より、対岸の本堂の阿弥陀如来を拝するのが浄瑠璃寺での礼拝の姿だと言う。また、本尊の阿弥陀仏は九体あって、いずれかの仏が自分を迎える仏であるが、誰もどの仏かは分からないとのこと。そして、九品往生(くぼんおうじょう)の教えで、人それぞれ、その生き方で、下品下生(げぼんげしょう)から、上品上生まで九つの往生の仕方があるとの事です。九体仏は今では浄瑠璃寺だけになっているが、平安時代には30か所くらいがあって、そもそも、藤原道長が教えに熱心で初めて九体仏を祀ったとの事です。今も上品や下品と言う言葉の元はここに発するとの事には驚きました。本堂の拝観では吉祥天像も特別公開中でしたが15:15発の臨時便のバスに間に合うように急ぎ帰路につきました。

 講師を務めてただき、法話の依頼などして頂いた山下さん、バスの割引チケットなど手配して頂いた担当幹事の澤田さん有難うございました。   (文/赤對)

例会 10月29日(火)「京都一周トレイルを歩く(第4回)戸寺~二ノ瀬」の報告

 京都地下鉄国際会館駅に9時30分集合。参加者は19名。天気が心配でしたが、気象庁の天気予報では午前中は降水確率が30%となっており決行となった。但し午後の降水確率は80%であり、鞍馬駅までは何とかもって欲しいと思っていました。                          
 国際会館から大原行のバスに乗り、約20分、戸寺バス停で下車した。味工房志野(土産物屋)の駐車場に皆で集まる場所が有り、ここで讃良さんからコースの概要を説明され、コースに詳しい平井さんが詳細を説明された。先頭は平井さん、最後部は讃良さんが歩く。 

 コースは戸寺⇒江文神社⇒静原神社(隣接の公園で昼食)薬王坂地蔵寺叡電鞍馬駅二の瀬駅で、15時頃解散の予定です。                                                            
 10:10戸寺をスタートし、高野川を渡りのどかな農村の道を歩き、宮川一の橋付近で京都トレイル㉙10:22に通過しました。寂光院まで2.1km、三千院まで2.3kmの場所です。江文神社を目指して歩く。      
 10:31江文神社に到着。江文神社(えぶみじんじゃ)は大原郷八ヶ村の氏神である。もと毘沙門堂江文寺と合祀されていた。本社の祭神は倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)である。付近には写真に示す白い花の「ショウガ科のジンジャ」、黄色い花の「キク科ヤクシソウ」が咲いていました。

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 坂を上り、川を渡り、江文峠に着きました。静原から2.0kmの地点の標識があり、下鴨静原大原線(府道40号)に出ました。                                                         
 10:50道路を渡り、静原への山道を歩く予定でしたが、山道ルートは木材伐採の工事を行っていたため、府道を静原まで歩くことなりました。静原まで2.0kmの標識があり、車道の為、一列で車に気を付けて歩きました。途中の畑に野菜が沢山植えられ、京都北山の美味しい漬物になるのではと思いながら歩きました。大きな「へちま」も歩道の柵に絡んでいました。                                              

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 11:30静原神社に到着しました。天気は午前中もちましたが、午後から雨が降る可能性が高く、昼食を少し早くすませ、11:50集合と説明がありました。参拝して12:00スタートしました。静原神社は、古来、御本社に伊弘諾尊(イザナギノミコト)、奥御前には瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を祀ったため、合わせて『二宮社』とも呼ばれ、また天武天皇が逆徒に襲われた際、この地に難を避け、心身ともに静かに過ごされたために「静原」という地名が付けられたとのこと。和銅年(711年)祭祀が始まったと伝わっています。境内にはかなりの樹齢のスギの木がご神木として構えてました。                                                    
 薬王坂へは急な坂の為、休憩や給水を行い登った。薬王坂の峠には12:48に到着した。その後下り坂で地蔵寺を13:09に通過して鞍馬寺の入口13:16経て叡電鞍馬駅13:20で写真撮影を行う。叡電鞍馬駅で帰られる方もいましたが、二ノ瀬まで鞍馬街道を歩いた。電車、線路も情緒があり、何よりも雨が殆ど降らずに、二ノ瀬駅13:59に着いて解散となった。 

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 案内をしていただきました平井さん、讃良さんには感謝申し上げます。(文/永井)