京とおうみ自然文化クラブ

「京(みやこ)とおうみ自然文化クラブ」は、認定NPO法人シニア自然大学校の京都府・滋賀県の地方組織です。旧ブログは左下リンク集より閲覧できます。

2025年1月~4月の行事予定

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予定表はクリックで大きく表示されます


雨天決行以外の屋外行事について、前日17時発表の気象庁の天気予報で、
 該当地域の行事当日の午前中6時~12時)の降水確率が60%以上の場合中止です。
 3/26例会「山科疎水の桜を愛でる」のみ午前午後どちらか50%以上で中止です。

 詳しくは当クラブの概要紹介を参照願います。

例会 12月17日(火)「石清水八幡宮界隈の散策と植物観察」の報告

 京阪電車石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)駅に10時集合。会員45名と一般2名の計47人で、11月の例会と同じく大勢の参加がありました。今回の案内役は、歴史散策は中林さん、澤田章夫さん、植物観察は髙橋が担当でした。急に冷え込みが強くなり2・3日前までは最高気温が10℃に満たない冬型の天気でしたので、そんなに多くの人は集まらないだろうと予想していました。当日、駅前の観光案内所でパンフレットを25部もらい皆さんに配っていたら、たちまち足らなくなって追加、そしてまた追加となり、案内所の方は嬉しい悲鳴をあげておられました。

 先ずは、八幡宮一の鳥居の前で朝礼。そのあと中林さんから本日のルートや、石清水八幡宮の歴史について説明がありました。裏参道から登り、展望台へ、その後本殿を参拝し、表参道へ降りるルートです。その後は、相槌神社、単伝庵、飛行神社へと参拝します。
 ①   一の鳥居 鳥居の上の扁額「八幡宮」は、「八」の字が双鳩になっています。
 ②   頓宮(とんぐう)・極楽寺跡 回廊に囲まれた一画を「頓宮」といい、毎年9月15日の勅祭「石清水祭」は、京都葵祭・奈良春日祭とともに三大勅祭の一つです。真夜中に松明や提灯の灯りだけで行われる神聖な祭りです。祭りの起源は、僧侶行教が九州の宇佐神宮で神託を受け、この男山で八幡大神を祀ったことが始まりです。863年宇佐神宮に倣って始められた「放生会(ほうじょうえ)」に遡ります。極楽寺は、石清水八幡宮初代別当が883年に建立しましたが、鳥羽伏見の戦いで、焼失しました。
 ③   高良(こうら)神社 860年に建立。鳥羽伏見の戦いで焼失しまたが、明治12年に再建。吉田兼好「徒然草」の話が紹介されました。「ある日仁和寺の和尚が石清水八幡を訪れ、極楽寺・高良寺を詣でた。参詣を済ませ、さて帰ろうとしたときに、人々は山頂を目指して階段を登っていく。が、今回の目的は石清水八幡宮参詣なので帰ってしまった。後で、石清水八幡宮が山頂にあることを知って、どんなことでも、案内人は必要だと痛感した」という話でした。

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【ここで、植物観察1】
 オガタマノキタブの巨木の紹介。イチョウの葉の雑学を披露。銀杏は雄木と雌木がありますが、葉っぱの違いで見分けられるでしょうか。切れ込みのないスカート銀杏、切れ込みのあるズボン銀杏、さてどっちが雄でどっちが雌?正解は葉の形は関係ない。切れ込みのある葉は、強せん定されたため、早く大きくなろうと大きな葉を付けます。そして風の抵抗を少なくするため切れ込みが入るのです。幼木も同じ原理で、切れ込みの葉があるものがあります。この話は、ちょっと盛り上がりました。道中では、ケヤキ・エノキ・ムクノキの葉の違いを観察し、それぞれで同定されていました。タラヨウイヌビワカゴノキなどもありました。

 ④   展望台 澤田さんより紹介。この日は遠くまでよく見え、京都盆地が一望に見渡せ正に絶景でした。木津川・宇治川・桂川の3川合流地点、西から愛宕山、京都タワー、比叡山、宇治平等院等が見えました。遠くは、雪を被った蓬莱山まで見ることができラッキーでした。まだもみじの紅葉が残り、足元にはもみじの落ち葉で大きなハート模様が形取られ、私たちの目を楽しませてくれました。
 ⑤   石清水八幡宮 859年空海の弟子であった奈良の大安寺の僧が宇佐神社に参詣したおりに神託を受け、翌年860年に清和天皇の命により創建しました。以来京都の北西にある比叡山延暦寺と対して京都の南西の裏鬼門を守護し、皇室・朝廷より篤い信頼を受けました。また、源氏も氏神として信仰したことから武神・弓矢の神・必勝の神として崇敬されました。創建以来、明治初年の神仏分離までは、多くの宿坊が参道に軒を連ねていました。社殿は3回炎上し、現在の社殿は1634年に徳川家光の造営によるもので、「八幡造り」と呼ばれています。(国宝)

 ここで、「はちまんさんの不思議」の紹介。その1斜めを向く社殿。これは参拝の際に神様の真正面を通らないためです。その2見つめ合う一対の鳩。楼門の蟇股(かえるまた)に、向いあう鳩の錺(かざり)金具があり、鳩が少し口を開けているのと、開けていないのがいます。これは、八幡さんのお使いである鳩が、「阿吽の呼吸」で神様を守っています。その3切り取られた石垣。東北の角が豪快に切り取られています。これは、鬼門を封じるために切り取られるように造られました。その4参道に飛び出た石。一ツ石と呼ばれ、昔石畳がなかったころに行われていた走馬のスタート地点。別名「勝負石」とも言われています。その5エジソン記念碑。発明王トーマス・エジソンが白熱電球のフィラメントに適する素材に、この地の竹を使い長時間点灯させることに成功。この功績をたたえて、昭和9年に記念碑が建立されました。不思議は全部で8つあるそうです。
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【植物観察2】
 境内には、大木の紅白のサザンカが数本あり満開でした。オガタマノキの根元には、1円玉のお賽銭がたくさん置いてありました。この木が、1円玉の裏側のデザインになっていると言われてそうです。しかし、実際は若木をイメージしたもので、オガタマノキとは断言できないようです。樹齢700年のクスノキの巨木がありました。これは楠木正成公が戦勝軍利を祈り植えられたとされています。大木のナギノキもあり、裸子植物であること、海の凪を願うことなどを話しました。
 エジソン記念碑前の広場で、一旦昼食休憩となり、この時間は、少し寒く感じました。

 帰りは表参道から、めいめいに植物観察や紅葉を眺めながら降りていきました。なんせ、47人と大人数ですから、随分と長い列となりました。松花堂弁当もこの地が発祥です。
 ⑥   相槌(あいづち)神社 八幡さんを降りたところにある末社で、刀剣に関係の深い神社です。傍らには、「山ノ井戸」があります。説明ポイントでは、1度に人が集まらずに、3回に分けて説明する場面もありました。
 ⑦   単伝(たんでん)庵 相槌神社から歩くこと約20分。別名らくがき寺。大黒様に願い事が見えやすいように、壁に落書きが見えるように書き入れる「らくがき祈祷」が出来ます。土日しか拝観が出来ないので、説明を聞き外から眺めました。
 ⑧   飛行神社 日本で初めての動力飛行機を発明した二宮忠翁創建の神社。空の安全、航空業界の発展を願います。この神社は、ギリシャ風の建物やステンドグラスの飾りがあり、一風変わった神社です。

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 14時、ここで解散となりました。めいめいにお参りをして、自由解散です。時間にも余裕があり、多くの人は石清水八幡の門前まで戻り、八幡名物「走井餅」を食べに行きました。お店は我々でいっぱいになり、お土産を買う人や、甘味処で休憩する人で大繁盛でした!!初冬の景色の中で、ゆっくりとした歴史散策を楽しみました。(文/やよい) 

例会 11月29日(金)「錦秋の洛南・泉涌寺界隈の寺社を訪ねる」の報告

 京阪東福寺駅前に会員44名と一般参加3名の計47名が10時に集合しました。駅改札口前は観光客で混雑していたので、萬寿寺の門前まで移動して、担当幹事の赤對さんのあいさつでスタートしました。案内役は松浦さんで、事前に説明資料をいただいています。天候は晴れ一時雨の予報でしたが、今は晴れています。タイトルにある「錦秋」は、木々が紅葉して、錦の織物のように美しい秋の意味です。「そうだ京都行こう」の紅葉情報では泉涌寺、東福寺は「見頃」とのこと。実際はどうでしようか。なお、「洛南」は京都市の南部をさす通称ですが今回はその一番北のエリアを巡ります。

 ① 萬寿寺 かつては、臨済宗京都五山(南禅寺を別格として、天龍寺 相国寺 建仁寺 東福寺 万寿寺 )のひとつに数えられた大きな寺でしたが、今は東福寺塔頭となっている小規模な寺です。非公開なので次に向かいます。ここから先は人通りが少ない裏道を進みます。
 ② 即成院(そくじょういん)泉涌寺塔頭。まずは、入口の門の上に鳳凰像に注目します。鳳凰は藤原頼道が建立した平等院のものが有名ですが、頼道の三男の橘俊綱が即成院を建立した際に平等院に向き合うように鳳凰を置いたとのことです。境内には弓の名手であった那須の与一の墓があります。源平合戦の屋島の戦いで与一が活躍した話を聞きました。境内を通って次に向かいます。
 ③ 戒光寺 泉涌寺塔頭。拝観無料です。庭の紅葉が我々を迎えてくれました。ここは運慶湛慶父子の合作である丈六の釈迦如来立像を本尊としています。後水尾天皇の身代わりになって傷を受けたという伝承があり「身代わり丈六さん」の名で信仰されています。丈六とは一丈六尺(約4.8m)の大きさの仏像のことです。如来の身長は一丈六尺あるとされたことから、仏像はこの大きさで造立することが一つの理想とされました。身代わりとなった首周りの傷跡や口元のひげのような文様は慈悲を説く口の動きを表すことなど仏像鑑賞のポイントの説明も受けてから拝観したのでよくわかりました。
 ④ 新善光寺 長野善光寺信仰が全国各地に普及し、その結果、誕生した仏教寺院のひとつです。ここは鎌倉時代に後嵯峨天皇が長野まで行くのが遠いということで建立されたそうです。ここも紅葉が観れます。
 ⑤ 今熊野観音寺 境内無料です。深紅の紅葉に取り囲まれた朱塗りの鳥居橋が印象的です。隠れた紅葉の名所で写真撮影スポットがたくさんありました。本堂には空海作の十一面観音像があります。

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 ⑥ 善能寺 境内の紅葉につられて予定外に立ち寄りました。門前の由来書きによると、本堂(祥空殿)は1971昭和46年)のばんだい号墜落事故遺族の寄進により、航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願して建立されたものであるとのこと。
 ⑦ 来迎院 赤穂浪士の大石内蔵助が建立した茶室があります。境内では紅葉が楽しめました。
 ⑧ 泉涌寺(せんにゅうじ)真言宗泉涌寺派総本山。境内には入らず大門前でお寺の解説を聞きました。皇室の菩堤寺であり「御寺」として知られているとのこと。皇室は神道と深い関わりを持ってきたが、皇室自体は仏教に帰依しているとの説明を聞いて、神仏習合にも関係する深い話だと思いました。ここで12時となったので、昼食休憩をとって各自持参のお弁当を食べました。
 ⑨ 雲龍院 泉涌寺別院。拝観料400円を支払って入りました。入口でいただくリーフレットと『雲龍院の「へぇ~」のポイント』に沿って順路を回りました。各ポイントでも案内が工夫されていて、興味深く楽しむことができました。蓮華の間にある障子の四角いガラスから、椿、灯篭、楓、松の4枚の違った景色を眺める事ができるのが有名ですが、他にもどころが多いお寺です。私の一番のお気に入りは、「走り大黒天」です。左足を一歩前にだしているのは福をすぐに運ぼうとする様子を表しているそうです。境内をゆっくり鑑賞したあと、門を出て裏道を下ります。
 ⑩ 勝林寺 東福寺塔頭。毘沙門天象を本尊とし、東福寺の鬼門を守っているとされます。東門の入場受付の手前から紅葉の写真をとって引き返しました。

 東福寺への参道は大変な混雑が予想されるので、その手前でいったん解散となりましたが、ほぼ全員が引き続き参加したようです。ここからは、お寺に詳しい会員からの情報提供でお寺巡りを続けました。

 ⑪ 東福寺 臨済宗東福寺派大本山。京都五山のひとつで紅葉の名所です。特に臥雲橋(がうんきょう)から通天橋に向かっての眺めは素晴らしいものでした。紅葉も見頃でした。このあと、本堂のあるエリアに入り三門を目当てに進みました。ここの三門は禅寺としては日本最古で最大です。さらに、東司(とうす、大規模な共同トイレ)の内部を覗き込みました。2年前にニュースになった乗用車で木の扉が破損した事故の修繕跡も確認しました。本堂の中の釈迦三尊像を拝み天井画を覗き見ていたところで通り雨に遭いました。本堂の大きな軒下で雨をやりすごし、光明院の門前まで移動して15時前に解散となりました。 

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 (写真はクリックで大きく表示されます)
 以上、紅葉については、場所により早い遅いのばらつきもありましたが、見頃の所が多かったと思います。特に、午前中は晴れ間もあってきれいな写真がたくさん撮れたようです。
 松浦さんには、寺院の詳しい説明の他、紅葉の穴場的な鑑賞スポット、絶景写真の撮影ポイント、大勢でお弁当を食べられる場所など教えていただきました。ここでは著しきれませんでしたが、語源などのうんちくのお話、お勧めの食事処の紹介も挟んで、ユーモアのある話をたくさんしていただきました。何よりも、人通りの少ない安全な裏道を案内していただいて、団体がスムーズに移動できたことがよかったと思います。ありがとうございました。今回は団体行動なので混雑を避けて有料エリアはほとんど通り過ぎましたが、観光客が少ない新緑の頃にもう一度訪れたいと思いました。  (文/Y.K)

研修会 11月28日(木)「季節の植物観察:工夫する種子散布」の報告

 やっと長い夏が終わったと思ったら、急に寒くなった。紅葉もなかなか進まなかったが、ここ何日か一日の最低気温8℃以下が続き、いっきに紅葉が進んだ。今日は天気も良く、最高の紅葉のきれいな研修会日和になった。参加者、実習生3名、一般2名、会員17名の合計22名、案内は、高橋さん、中林で2班に分かれて研修した。

 まずは、ワイルドガーデンの広場で、周囲を見渡してもらった。紅葉、黄葉、緑の木々、青空、とってもきれい、空気もおいしい。(普段、ルーペで花の細かいところを観察しているので、今日は初めに全体の木々、花々を眺めてもらった。)ワイルドガーデンから南の方を向くと、トウカエデの黄葉がとってもきれい。

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  では、ワイルドガーデンの花壇へ、ハボタン、ビオラがきれいに植えられている。ハボタンは、目の形に植えてあるらしい。(大阪万博のミャクミャクを意識しているらしい?)言われてみないとわからなかったが、言われたら、そうかなぁ。ハボタンは、アブラナ科キャベツの仲間で、江戸時代には食用として輸入されたが、その後、観賞用として改良された。葉が重なり、「吉事が重なる」縁起がいいということでお正月に飾られるようになった。
 オレンジ色の変わった形の花があった。これは、南アフリカ原産のカエンキセワタで、火炎のように見えることから、この名がついた。花冠がライオンの耳に似ていることからライオンイヤーとも言われる。葉を傷つけると芳香があり精油を持つ。すぐ隣に同じようなオレンジ色の南アフリカ原産のクリスマスチアー、クリスマスの時期に咲くことから名がついた。つぼみの時の方が、色が濃く、花が咲き始めると徐々に薄くなっていく、花は下から上へ咲く。メキシコ産のチョコレートの香りがするチョコレートコスモスも咲いていた。紫色の葉のサンカクカタバミが目を引く。いろいろなところで咲いている。繁殖力の強さを感じる。

 先ほども記載した北門入って、目を引く正面の黄葉がきれいなトウカエデ、木の下まで行って、上を見上げると、青空と黄葉がマッチしてきれい、木の南側は、陽の光があたり、紅葉、黄葉が混じり何とも言えない眺めであった。
 通路の向かい側に、赤や黄色の可愛い実をつけている木は、ツツジ科のイチゴノキ。イチゴのような果実をつけることから、この名で呼ばれる。可愛い花も咲いており、花と果実が同時に見られる。果実は、年を越し、翌秋に緑から黄、オレンジ、赤へと変化しながら、晩秋に成熟する。いかにも美味しそうな果実であるが、ほとんど味がないらしい。
 アジサイ園の方に進む、途中、カエデの仲間のハナノキがきれいに紅葉していた。高木なので、遠くから眺めると紅葉がとてもきれい。アジサイ園では、シラキが、白味がかった樹皮に紅葉が映える。ツルツルした樹皮が触り心地がいい。カイノキ(楷木)も黄葉していた。別名ランシンボク、中国原産、直角に枝分かれこることや小葉がきれいに揃っていることから楷書に因んで楷木と名付けられた。中国では、孔子廟に植えられており、孔子と縁が深いことから学問の聖木とされており、岡山県の閑谷学校や横浜の金沢文庫にも植えられている。ウルシ科で葉は、偶数羽状複葉、同じウルシ科のハゼノキは奇数羽状複葉である。
 マンサク科のマルバノキは、落葉した後に花をつけていた。利休七選花の一つだそうだが、なんと不思議、二輪の花が背中合わせに一対になって咲いている。(なんでこんな咲き方をするのだろう?誰か教えてください。)
 高木のフウの黄葉も美しい。カエデに似ているが、フウ科でカエデの仲間ではない。カエデの葉は対生、種子は翼果、フウの葉は互生、種子は球状の集合果で全く違う。葉は3裂、モミジバフウは5裂である。葉をちぎると香りがある。昔、高貴な人が、蚕にフウの葉を食べさせ、できた糸で衣服を作ったそうだ。蚕は桑の葉以外の葉っぱも食べるそうだ。

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  次は、世界三大紅葉(ニシキギ、スイバノキ、ニッサボク)へ(生態園の南側に行く。)ニシキギは、北海道から九州まで広範囲に分布、翼がある。よく似るマユミは、翼がない。陽が当たっている所は、鮮やかに紅葉していた。スイバノキ(スズランの花のような花を咲かせることから別名スズランノキとも言う。)は、見事にきれいな赤色の葉をつけていた。ニッサボクもまだ緑が残っていたが、きれいに紅葉していた。(私は、この3本の樹木が同時にきれいに紅葉しているのを見たのは初めてであった。)ニッサボクの仲間のヌマミズキも紅葉していた。高木のラクウショウは黄葉がきれい、別名ヌマスギ、湿地、水辺等に自生している。秋になると鳥の羽のような葉が枝ごと落下するので落羽松(ラクウショウ)と名付けられた。樹齢は長く、中には1000年を超えるものもある。根が湿地の中にあると呼吸ができなくなるので、呼吸根という根を一部地上に出している。メタセコイアと似ているが、葉も枝もラクウショウは互生、メタセコイアは対生である。ラクウショウの近くにフウリンツリバナの赤い果実が5裂し風鈴のようにぶら下がっており、とってもかわいい。ナンテンも赤い果実をたくさんつけていた。
 生態南側へ入ると、ユリノキの黄葉がきれい。果実がバラバラになって、下に落ちていたので、飛ばしてみると、クルクルと回って飛んだ。翼をもっている種子で、風に乗って遠くまで運ばれる。生態園では、トキリマメヒヨドリジョウゴ、カゴノキ、ツルソバ、タラヨウの果実、キクタニギク、キブネギクを、そして森カフェの裏のタイワンモクゲンジの果実を観察した。タイワンモクゲンジの果実は、ピンク色の3室の袋状の各室に2個の黒い丸い種子が入っていた。

 研修会前日にヒイラギの花が咲いており、いい匂いがするとの情報があり、ヒイラギを見に行ったが、その場所を朝に確認したのにもかかわらず、ヒイラギをなかなか見つけることができず、皆さんに探してもらうという不手際があった。(ごめんなさい。)やっと見つけたヒイラギは、モクセイ科で花も香りもキンモクセイに似ている。白い花が満開であった。節分にイワシの頭と玄関に飾るという魔よけの役もある。クリスマスに赤い味をつけるヒイラギは、セイヨウヒイラギで、モチノキ科であり全然違う仲間である。ヒイラギの葉はトゲのある鋸歯が特徴であるが、よく見ると、トゲのある鋸歯は、木の下の方だけで上の方の葉はトゲがない。下の若い葉のトゲは、動物に食べられないための手段である。木が動物に食べられない高さに生長すると(古くなると)トゲがなくなる。これを人間に例えて、「若い時は、いろいろな行動や言葉にトゲが多くあるが、年齢を重ねていくと、トゲが取れて人間性が丸みを帯びてくる。」これをヒイラギ人生というらしい。
 最初のワイルドガーデンでも周囲を眺めたが、また集合場所の芝生の広場でぐるりと回りを見渡した。タイワンモクゲンジの花のようなピンクの果実、ラクウショウユリノキの黄葉が遠くに見え、いろいろな樹木の葉の緑、赤色が混じり合ってきれいな眺めであった。やっぱり、近くで観察することも大事だが、たまには、遠くから眺めてみるのもいいものだ。

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 紅葉があまりにもきれいだったので、11月のテーマの「果実と工夫する種子散布」から外れた観察会になって申し訳なかったですが、最高の天気で短い今年の秋を満喫できた。参加してくださった皆様、高橋さん、ありがとうございました。 (文/A.N

11月19日(火)「草津市立志津南小学校4年生りょうぶの道観察会」の報告

 滋賀県草津市立志津南小学校4年生の子どもたちに、身近で豊かな里山の自然を感じ取ってほしいという願いを込めて、学校近くの自然観察道「りょうぶの道」でコロナ禍での中断をはさみ、15年前から毎年、観察会を実施しています。「りょうぶの道」とは、湖南丘陵を切り開いて造成され、1983年から分譲が開始された住宅地である草津市若草と大津市青山にまたがる牟礼山(221m)の稜線に沿って続く自然観察道です。立命館大学のキャンパスとも接しています。

 午前9時出発。学校から歩いて15分で「りょうぶの道」の入り口に到着しました。坂道を少し上っていくと、カリンの木があります。事前に準備していたカリンの実の輪切りを見せ、甘い香りをかぎ、カリンのど飴の写真を見せました。木の特徴や固い実がのど飴に使われていることを説明すると、興味深く話を聞いています。

 紫色のかわいい実がいっぱいついた木を見つけた子どもがいます。「滋賀県にゆかりの深いNHK大河ドラマの主人公と同じ名前だよ」と言うと、ムラサキシキブとすぐさま答えが返ってきました。赤い実から黒い種がのぞいているゴンズイ。「幹の模様が魚に似ているから、ゴから始まる魚の名前と同じだよ」とクイズを出すと、魚博士の子がサッと手を挙げて「ゴンズイ」と答えてくれました。鋭いとげのサルトリイバラがありました。このとげのあるつるに絡まるとサルも動けなくなってしまうからこんな名前がついたことや、ルリタテハの写真を見せ、幼虫が食草としていることを紹介しました。

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 牟礼山の山頂付近にたくさん生えているので「りょうぶの道」という名前がついたのですが、子どもたちが歩く前半のコースにはリョウブの木が見られません。ちょっとわき道に入ったところにリョウブの木があります。昔は「救荒植物」として里山に植えられ、新芽を山菜として混ぜご飯にして食べたことを話しました。子どもたちは、すでに葉が落ち、樹皮が剥がれすべすべしている幹だけになった木をなでながら熱心に聞いていました。

 植物観察だけではなく、地層の観察もしました。下り坂の道の側面が小さな崖になっていて、丸くていろいろな色の小石が土の間にはさまっているところがあります。山の上にこんな丸い小石があるのは、大昔、このあたりが川だったこと。そして、川底にあって角が取れて丸くなった小石が地殻変動で持ち上げられて、今はこんな山の上にあるということを説明しました。何十万年も前の大地の変動の様子をうまく思い浮かべてくれたでしょうか。時間ほどかけてゆっくりと歩きながら「りょうぶの道」の自然観察を続けていきました。

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 「りょうぶの道観察会」実施に向けてご尽力いただいた澤田会長や事務局の皆さま、「森の先生」や「サポーター」としてご協力いただいた会員の皆さま、本当にありがとうございました。来年度も、「りょうぶの道観察会」の実施が予定されています。ぜひ、ひとりでも多くの皆さまに子どもたちと関わっていただけることを願っています。 (文/岡本哲生)