京とおうみ自然文化クラブ

「京(みやこ)とおうみ自然文化クラブ」は、認定NPO法人シニア自然大学校の京都府・滋賀県の地方組織です。旧ブログは左下リンク集より閲覧できます。

「第22回総会と三十三間堂界隈散策」の報告

第22回総会報告
 当クラブの新年度(令和7年・2025年度)の総会が「ひと・まち交流館」3階第5会議室で10時30分から行われました。出席者は会員46名で会長委任の欠席者90名を合わせると過半数を超えましたので総会は成立しました。なお、新入会員17名のうち7名が出席でした。
 総会開始までの時間で井上さん(広報)が作成されたスライドショーで昨年度の活動を紹介しました。昨年度の活動が思い出されました。
 総会は、木全さんの司会で始まり、議長に澤田勉さんを選出し議事が進められました。澤田会長の挨拶では今年度は17人が入会されたこと、会員数は昨年度よりも2人多い156人になったとの報告がありました。
 次に赤對さん(事務局)から令和6年度の活動報告がありました。年間の32件の行事に延べ1037名の参加、1行事当たりの参加者は平均32.4名でした。ちなみに令和5年度は34件の行事に1024名で1行事当たりの参加者は30.1名でした。
 続けて、志津南小の教職OBの岡本さんから、昨年11月に実施した「りょうぶの道」観察会で、児童に身近に落ちている木(クスノキ)の枝を用いてどういう風に興味をもたせていくかをわかりやすく説明していただき、児童100名に対して参加者が少なく児童たちの後ろでいいのでサポーターとして参加してほしいとの依頼がありました。参加した児童は興味を持った植物のパンフレットを作ってこんな植物が近くにあることを知ってもらうために近隣の家に配る活動をしたとのことでした。
 次いで会計・中林さんから会計報告、監事・海老原さんの監査報告があり、先の赤對さんの活動報告と合わせて承認されました。
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 次に提案事項に入り、澤田会長から今年度の役員体制案の提案があり承認されましたので19名の新役員紹介のあと活動方針が述べられました。続いて、新事務局に就任した三輪から今年度の行事計画案、中林さんからは予算案が示されましたが、出席者からの質問や意見はなく承認され、総会は滞りなく11時15分頃に終了しました。
 その後、出席されていた新入会員7名からひと言挨拶をいただき、澤田会長から平成17年度から今年度までの役員(役付き幹事)の推移を紹介され、最後に事務局を退任された赤對さんからこれまでの流れとこれからも京とおうみを応援してほしいとの話がありました。長く事務局を務められお疲れ様でした。

三十三間堂界隈散策報告
 昼食のあとの三十三間堂界隈の散策は自由参加でしたが35名の参加がありました。
 交流館を出ると晴天で涼しく歩くにはいい天気でした。12時に出発して高瀬川沿いを下り正面通りにでました。正面通りを西に正面橋を渡っていくと正面に秀吉を祀った豊国神社の鳥居が見え右手に耳塚(鼻塚)がありました。耳塚は秀吉の慶長の役で殺した人の耳や鼻を持ち帰ったがその人々を供養するための塚です。豊国神社の鳥居をくぐると新天皇即位時に修復された秀吉像や伏見城から移設された国宝である唐門がありました。境内はほとんど人がいなくて静かでした。隣接して方広寺鐘楼があり、大坂の陣の契機となった「国家安泰、君臣豊楽」の入った鐘銘文を刻んだ梵鐘がありましたが刻まれた文字は小さくてよく見えませんでした。北に行くと方広寺大仏殿跡が公園となっていました。
 豊国神社に戻り、鳥居をでて大和大路通りを方広寺大仏殿の大きい石垣沿いに下ると左手に京都国立博物館の正門が見え、その南に三十三間堂(蓮華王院)がありました。
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 三十三間堂には33名が参拝しました。千体の千手観音立像は圧巻、また東庭池和泉回遊式庭園を見て進むと江戸時代に通し矢が行われていた本堂の西側を見ることができ、その長さに改めて驚きました。40分の拝観では少し短かったと感じました。
 法住寺を拝観し、南大門をでて東大路通りを下って新熊野神社に参拝しました。新熊野を「いまくまの」と呼びますがこれは紀州の古い熊野に対する京の今の熊野という認識が由来となっています。影向の大樟(ようごうのおおくすのき)があり、樹齢900年と推定されています。また、本殿の裏には京の熊野古道として熊野十二所権現が祀られていました。
 ここから東大路通りを上って智積院に着いて解散しました。
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 総会の準備・運営していただいた幹事の皆さん、さらに午後の散策を案内していただいた澤田会長ありがとうございました。               (文/三輪)

例会 3月26日(水)「山科疎水の桜を愛でる」の報告

 黄砂の影響と思われる霞はあるものの晴れの良い天気でした。今回は桜の花を期待してJR山科駅から南禅寺まで歩きます。参加者は一般参加1名と会員35名の計36名。JR山科駅に9時30分に集合した後、毘沙門堂を目指して出発。15分ほど歩くと疎水に到着。トンネルから出た琵琶湖からの水が滔々と流れていました。しかし、疎水沿いの桜はまだつぼみです。近くの広場で案内役の勝田さんからコースの説明があった後、毘沙門堂に向けて出発。
 疎水に架かる橋を渡ると道は狭いゆるやかな登坂になりました。橋の近くのハクモクレンの花が満開でした。両側には大きな邸宅が並んでいます。毘沙門堂の入口に到着し、汗をかきながら急な階段を上り、朱塗りの仁王門をくぐると、唐門、その奥に本殿が現れました。毘沙門堂は毘沙門天を祀る天台宗の門跡寺院。各自お参りした後、集合写真を撮影。そして、まだつぼみの枝ぶりが見事なシダレザクラの脇を通り、山科聖天に向かいます。山科聖天の正式名は双林院といい、毘沙門堂が再興された時に建立されました。

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 しばらく滞在した後、日向(ひむかい)大神宮に向けて出発。車が1台通れるくらいの狭い道路をしばらく歩くと鬱蒼とした杉林の山道に変わります。35分ほど歩いて峠に到着。休憩した後、出発。今度は急な下りの山道。足元に注意しながら慎重に歩きます。道はアップダウンが多いため、山道を歩き慣れていない人たちは遅れ気味になり、先頭集団と後続集団に分かれてしまいました。約30分後に先頭集団は分岐点(七福思案処)に到着し、後続集団を待ちます。10分後に後続集団が到着すると、天の岩戸経由のルートで日向大神宮に向けて出発。道には木の根っこがあちらこちらに張り出しているためつまずかないように注意して歩きます。分岐を大神宮方面に左折したあとはひたすら下ります。昼食場所はインクラインの予定でしたが、大幅に遅れたため下り道の休憩ポイントでランチタイム。
 その後、天の岩戸をくぐり、伊勢神宮遥拝所を経由して大神宮に到着。ちなみに、日向大神宮は 天照大御神を祀っており、古来より伊勢神宮の代わりに参詣されていたことから、"京のお伊勢さん"とも言われています。
 大神宮を出発して車道を下り、疎水にかかる大神宮橋を渡ったあと、インクラインのそばの広場にある田邉朔郎像の前で集合写真。残念ながら、期待した桜の花はまだつぼみでした。
 ここで琵琶湖疎水とインクラインについて少し解説。明治14(1881)年、第3代京都府知事の北垣国道(くにみち)は、明治維新の東京遷都で衰退する京都を、琵琶湖から引いた疏水の水力で新しい工場を興し、舟で物資の行き来を盛んにしようと計画。工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業したばかりの田邉朔郎(当時21歳)を工事担当者として迎え、着工から5年後の明治23(1890)年に疎水は完成しました。琵琶湖疎水の総延長は大津市から伏見区まで約20kmですが、琵琶湖と蹴上船溜(インクライン上部)の水位差は約4mしかないため,高度な測量と施工の技術が必要でした。当時は満足できる機械設備がなかったため、いかに過酷な工事だったかが想像できます。疎水の水を使った水力発電を採用したおかげで,新しい工場が生まれ,路面電車も走り出し,京都は活力を取り戻しました。明治期の竣工以来、今なお現役で活躍している人工の運河です。
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 蹴上インクラインは疏水上流の蹴上船溜と下流の南禅寺船溜を結んだ全長約582mの傾斜鉄道で、約36mの高低差を克服するために舟を台車に乗せ、ケーブルカーと同じ原理で運びました。
 休憩のあと、南禅寺へ向けて出発。南禅寺の近くになるとさすがにインバウンドが多い。南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山。三門は日本三大門の1つに数えられるほどの名門でその大きさに圧倒されました。
 さらに奥へ進むと、田邊朔郎が設計・デザインしたで今も現役の水道橋の水路閣があります。写真の撮影ポイントにもなっており、ここが今回のゴール地点。終礼を行ったあと、14時頃に解散となりました。歩いたコースにはハードな山道もありましたが、怪我人も出ずに無事完歩できてよかったです。ただ、もう少し参加者の体力を考慮したコースを選定すべきだったと思いました。次回は桜が満開の時に訪れてみたいと思います。案内していただいた勝田さん、ありがとうございました。
(文/讃良)

研修会 3月24日(月)「季節の植物観察/春の訪れを告げる花たち」の報告

参加者:32名(会員29名・実習生3名)、天候:晴、気温:23℃
案内役:齊藤ちづみさん・岡かおるさん。時間:10:00~12:30。
 5日程前は冬に逆戻りしたような寒さでしたが、この2、3日で一気に春がやって来ました。園内は開花が遅れていた梅が満開、同時に早咲きの桜が咲き出しまさに梅と桜の競演です。そんな春の暖かな日差しの中で、観察会が行われました。全体リーダーの大川内さんから「春の芽だしの季節です。春を感じ取ってください」との挨拶でスタートし、岡さんチームに同行しました。岡さんと言えば虫や鳥に詳しく、植物との関係性を交えながら、わかりやすく興味が湧くよう説明してくださいます。
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① 桜「オカメ」は満開です。カンヒザクラとマメザクラの交配種で、可憐なピンク色で豆桜のようなかわいい花姿です。この桜はイギリス人のイングラムさんの作出で、日本に逆輸入されて来ました。「なんでこんな名前がついたん?」との皆の疑問に、「日本の美人の名前と言えばおかめさん!」と聞き、この名前がつけられたと参加者からの話でした。
② 彬姫桜(あきひめざくら)は、桜守である第16代佐野藤右衛門さん作出で、門外不出の桜を植物園に寄贈されました。彬姫とは、三笠宮彬子さまの名前から付けられました。
③ 食草園の向かい側に2本の幼木を発見。岡さんの話では、昨年伐採されたキハダが新たに植えられたとのこと。園からキハダが無くなってしまったことを残念に思っていたのですが、一安心です。キハダの冬芽は葉柄内芽で、かなり上の方に冬芽があり見えませんが、写真ではわかるようです。葉痕は大きくて確認出来ました。ミカン科なので、アゲハチョウの幼虫はこの木の葉を好んで食べるそうです。
④ 遠めに見るとハナノキの枝が赤く染まっています。枝全体に花が付いているのです。近寄っても花が小さすぎてよくわかりません。ムクロジ科でカエデの仲間です。紅葉の時期には、真っ赤に色付き見事だそうです。ちょうどその時鳥のさえずりが聞こえ、これはイカルの声だと教えてももらいました。
⑤ トサミズキヒュウガミズキの黄色い花が満開。よく似た花ですが、トサミズキの方が枝や花序が大きく、葯(雄しべの先端袋状の部分)が赤で、ヒュウガミズキは全体的に小ぶりで葯は黄色です。漢字で表すと土佐水木と日向水木と書きますが、日向とは宮崎県のことではなく、明智光秀の領域にこの花が多く自生し、光秀の官名である「日向守」から来ているとの話でした。春は黄色の花が多く、この花にもビロードツリアブが蜜を吸いに来る。それを見ると春やな!と感じると岡さん。
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⑥ カリンの木に蜘蛛の巣がありました。クモが居ると教えてもらいましたが、肉眼では小さなゴミにしか見えません。ゴミグモの仲間でこれはギンメッキゴミグモです。普通クモは下向きにとまるのですが、このクモの特徴は上を向いてとまる事です。でも見えなかった!写真をお楽しみに。近くに下向きにとまるゴミグモもいました。
⑦ ヤブツバキはツバキの原種です。赤い花をたくさんつけていますが、花が横向きに咲くのはなぜでしょう。鳥が止まりやすいように横を向いている。蜜を吸いに来た鳥が、花粉をいっぱい顔につけているのを見たことがありませんか。メジロやヒヨドリが上手に蜜を吸うそうです。日本のツバキの原種はもう一つ、ユキツバキというのが有ります。日本海側が自生地で、花は平開して咲きます。
⑧ ショウジョウバカマは花序からピンクの花を咲かせていました。実生から花が咲くまで約3年かかり、またロゼットの葉の先から小さな芽(不定芽)が形成され、その株からも増えていきます。

 その他にも、ウチワノキシキミセイヨウハシバミヒサカキクロキアセビイヌガシモミジバチャルメルソウダンコウバイなどたくさんの花と、ヒトツバクリハランコモチシダなどを観察しました。
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(写真はクリックで大きく表示されます)
 ちょっといつもと違った視点で有意義な時間でした。説明できなかった植物は写真でお楽しみください。                          (文/やよい)

3月23日(日)「鵜殿ヨシ原つる草抜きと東儀秀樹氏ミニコンサート」の報告

 4年前の秋、雅楽の篳篥のリードにするヨシが全滅し、千年以上続く雅楽の音色が途絶えてしまう雅楽の歴史的な危機を迎えてしまった。そこで雅楽協議会等の方々が「なんとかしなくては」と3年前の春から毎年篳篥用のヨシ再生のためのつる草除去作業がはじまり、約7,000m余りのヨシの再生に成功し、篳篥用のヨシを確保することができた。
 今年は、4年目のヨシ再生に向けてのつる草抜き及び午後からのミニコンサートを28名(会員22名、一般6名)で参加した。やっと寒さが和らぎ、風があったが、いきなりの暑い日になった。
 9時30分、阪急上牧駅に集合し、歩いて20分ぐらいで鵜殿に到着した。工事中の高速道路の橋脚が昨年よりもだいぶ出来上がっていた。これは、ヨシにどういう影響を与えるのかちょっと気になった。つる草区域までに行く途中、ハナウド、ノウルシ、絶滅危惧種のトネハナヤスリの説明があった。
 つる草を抜く前にセイタカアワダチソウヤブガラシオオブタクサカナムグラの見本で、赤對さんから除去しなければならないつる草の説明を受けた。今日はオオブタクサ、カナムグラの繁殖が多いので、これらを除去してほしいとのことであった。オオブタクサは、成長すると秋には、木みたいになるそうだ。現物の見本があったが、どう見ても背の高い木であった。また成長したヨシの見本もあった。
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 さあ、つる草抜きの開始、各々散らばって、黙々とつる草を抜く作業に専念した。(途中、腰が痛くなってきたので、立ったりして適宜休憩はしたが)カナムグラ、オオブタクサがたくさん顔を出していた。12時前に終了し、抜いた草もビニール袋にいっぱいになった。(ちょっと私も貢献できた。)今年も全国各地(山口県、和歌山県等)から約150名の方が参加されたらしい。
 各自、昼食を取り、14時30分からは、東儀秀樹さんのミニコンサートのために本澄寺に集合。まだ時間前だが、多くの方が集まっていた。(約500名の聴衆があったらしい。)コンサート開演前に植物学者の小山弘道先生、ヨシオープンイノベーション協議会の塩田真由美さん、上牧実行組合長の木村和男さんからご挨拶があり、赤對さんからは、つる草抜きについての説明があった。
 さて、いよいよ東儀秀樹さん、息子さん(チッチ)の登場。ミニコンサートも今年で4回目になる。毎回一緒に来られていた息子さんも今年は高校を卒業し、無事、念願の大学にも合格したそうだ。(おめでとう。)息子さんには、高槻・五領の環境と子どもの未来を守る会から、ヨシで作った製品のプレゼントがあった。この日、ヨシで作った製品がたくさん販売されていた。私も布巾と折り紙を買った。
最初、息子さんの篳篥の演奏から「ジュピター」が始まり、最後の曲アンコールまで8曲の演奏があった。どの曲を聴いても癒される音色である。午前中のつる草抜きの疲れも吹っ飛び、アッという間の癒しのひと時であった。
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(写真はクリックで大きく表示されます)
 東儀秀樹さんは、「1,000年以上続いている雅楽をいつも感謝の気持ちを込めてコンサートをしている。この音色が無くなったら淋しいと感じてくれたらいいと思っている。また、篳篥は、複雑な楽器であるが、今は手軽に買うことができるので、チャレンジして欲しい。」
との話をされていた。
 私もこの行事に3回参加させてもらっているが、敷居が高かった雅楽が親しみやすい身近な存在になった。この音色が途絶えないように、皆さんも是非つる草抜きに参加してください。
 1,000年以上続いている雅楽、これから未来へと受け継いで欲しい。そして篳篥のリードの材料である良質のヨシを絶やさないように、つる草抜きのボランティアも続行けていけたらいいなあと思った。(文:A/N)

4月~7月の行事予定

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予定表はクリックで大きく表示されます

雨天決行等の特記のない屋外行事は、前日21時前の
   NHK天気予報や、前日17時の気象庁ホームページ
   の天気予報で、行事
実施地域の午前中(気象庁ホーム
   ページは6~12時)の降水確率が
60%以上の場合、
   中止です。なお、
気象庁ホームページは当日の5時に
   更新されますが、その結果にかかわらず、前日17時
   の予報に従います。