雨天決行等の特記のない屋外行事は、前日21時前の
NHK天気予報や、前日17時の気象庁ホームページ
の天気予報で、行事実施地域の午前中(気象庁ホーム
ページは6~12時)の降水確率が60%以上の場合、
中止です。なお、気象庁ホームページは当日の5時に
更新されますが、その結果にかかわらず、前日17時
の予報に従います。
参加者:会員25名、天候:曇りのち晴れ、気温;29℃
案内役:齊藤ちづみさん、澤田章夫さん
集合時は曇りでしたが、気温、湿度ともに高くて蒸し暑い中での観察会になりました。大川内リーダーから「急に暑くなり梅雨が明けたような天気ですがアジサイを主として回っていきたい。水分補給をしっかりしてください。」とのあいさつがあり、2班に分かれてスタートし、澤田班に同行しました。
➀ 以前よりシマモミ前のトケイソウが少なくなってしまったとのことだったが2輪咲いていた。雌蕊が時計の長針、短針、秒針に、花弁と蕚が文字盤に見えるのでトケイソウ。上を向いていた雄蕊を触ると葯が下向きになった。帰りに確認したが下を向いたままだった。
② キキョウは秋の七草だが6月から咲き始める。雄性先熟であり、みんなで雄蕊だけが出ている花、雄蕊が終わって雌蕊が出ている花を探した。
③ 澤田さんの家で6月に咲いている花をスケッチで見せてもらったが上手。ガクアジサイ、ハンゲショウ、ドクダミ、キンシバイ、ハナショウブ、ツユクサなど
④ レースのマント(菌網)を持つアカダマキヌガサダケが1本だけ生えていた。菌網のない傘と茎だけになったアカダマキヌガサダケがたくさんあった。臭いと聞いていたので匂いを嗅いだがわからなかったが傘の部分にはショウジョウバエがたくさん止まっていたので臭いのだろうと。帰りに見ると菌網はもうたたまれていた。一方で新しいアカダマキヌガサダケが生えていたのにはびっくり。
⑤ 植物展示場にアジサイの鉢植えがあり、「隅田の花火」「ダンスパーティー」「ガクアジサイ」「アナベル」を始め、シーボルトが妻のお滝さんの名をつけた「オタクサ」、アジサイの作出に力を入れている桂高校草花部の「ちちんぷいぷい桂の地球(ほし)」の展示もあった。
アジサイの学名、ハイドランジアは水と器のことで果実が水を入れる器に似ていることが由来。アジサイは種は非常に小さく、種から育てると3~4年かかる。
⑥ ボダイジュの花は終わっていたが三大聖木である仏陀が悟りを開いた菩提樹はこのボダイジュではなくインドボダイジュ(クワ科)で寒い地域では育たないが一心寺では冬は囲いを作って育てているので見られること。また、他の聖木は仏陀がこの木の下で生まれた無憂樹、この木で囲まれた中で亡くなった沙羅双樹。なお、これらは京都府立植物園の温室に植えられている。
⑦ ハマクサギの花は終わりかけで黄色い花が残っていた。最初は白い花だそうである。このように花の色が変化についての説明があった。理由としては3つあり、土壌や肥料で変わる(アジサイ、マツリカ、ランタナ)、温度や老化で変わる(ハコネウツギ、スイフヨウ、パンジー)、紫外線量や先祖返りで変わる(スイカズラ、ペラペラヨメナ、マーガレット)。
⑧ ホソバイヌビワは雌雄異株でイヌビワコバチとの共生関係がある。雌が雄花序に入って産卵し、成虫になったら交尾して雄は死ぬ。雌は花粉をもって外に出て雌花序に入ったら受粉するが産卵できずに死ぬ。雄花序に入った雌は産卵する。
⑨ ドクダミの花は花弁のない集合花で基部の白い花弁に見えるのは蕚。ドクダミにも種類があって八重や斑入りがある。ドクダミは万能薬。ドクダミの周囲50cm2を掘ると根は31mもあるとのこと。
⑩ ササユリの花は終わっていたが写真で見せてもらった。ユリの種類は北半球で100種類、そのうち日本には15種類。シーボルトが日本からカノコユリなどをヨーロッパで紹介してから人気となった。明治時代末に輸出球根がヤマユリからテッポウユリに変わり1937年にピークを迎え全種類で4千万球輸出し、世界の需要の90%を日本のユリが占めていた。輸出額は生糸について多かったとの説明があった。
⑪ シチダンカはヤマアジサイの一種で、シーボルトが紹介したが、その後は発見されずに「幻のアジサイ」と呼ばれていたが、昭和34年に六甲山で発見された。装飾花は八重咲きで、それぞれの萼片が剣状に尖り、綺麗に重なって星状に見えるのが特徴。
⑫ ハナショウブはノハナショウブの園芸種で江戸系、伊勢系、肥後系などの系統がある。
ハナショウブの外花被片の基部は黄色い筋模様、アヤメは網目模様、カキツバタは白い筋模様。生息地としてはハナショウブが池や沼の水辺、アヤメは乾燥した場所、カキツバタは水の中。
⑬ ハスは春に芽を出して水面に葉をだす。はじめは浮葉になるがのちに水面よりも高く出る。花芽がでて、花は早朝に咲き昼には閉じることを繰り返して4日目には散る。花後は花托の穴の中で実を結ぶ。
⑭ ハンゲショウは半夏生のころに花をつけるから、葉っぱの半分ほどが真っ白な白粉を塗った様子から「半化粧」とも。また、葉を白くして虫を呼ぶが受粉が終わると元の緑に戻る。奈良の御杖村の岡田の谷の半夏生園が有名とのこと。関西ではタコを食べるが田に植えた稲がタコのように地に根付いて豊作になることを祈り、田植えを終えるとタコを肴に一杯飲んでお互いの労をねぎらうとのこと。
シナノキ三兄弟であるヘラノキ、ボダイジュ、シナノキ。ツクバネとネズとの半寄生。世界三大美幹木はヒメシャラとアオハダで残りはシラカバ。ノグルミの花は雌花を囲んで雄花があって雌花の上にも雄花。蟹の爪のようなキノコ、カニノツメ。光で色が変わるコンテリクラマゴケ。バクチノキの1年。
最後に澤田さんからのクイズがあった。アジサイの別名は8種類、「七変化」、「八仙花」「四片」「手毬花」「またぶりぐさ」「オタクサ」「額花」「本紫陽花」。アジサイの開花は西から。紫陽花の植えるのに適した場所は日当たりと風通しがよい場所。色の変化は土が酸性だと青色になる。また、木はどこまで高くなれるのかとのクイズ。蒸発の力で引き上げられる水の高さは理論上140mが限界。世界一高い木はセコイアの115m。日本は花脊の三本杉で62m。
12時40分ごろに集合して解散。午後からの希望者による観察会は暑いこともあって自主観察となった。 (文/三輪)
6月9日の梅雨入りの日、伏見稲荷から深草の史跡巡りと藤森神社のアジサイ見物の例会でした。幸いなことにほぼ曇天で、高温にもならず洛南の史跡歩きを愉しめました。いつもながらガイドの松浦さんの歴史や宗教の博識さに教えられました。町歩きの参加者はこのところ増えて、今回は44名でした。JR稲荷駅前の神社大鳥居に集合。インバウンドの外国人観光客で一番人気の伏見稲荷神社前、日本人観光客よりも多く通り過ぎていました。しかし、私たちの歩くコースは伏見稲荷周辺の古くからある古寺院境内、道端の地蔵・石仏、陵墓など由緒ある史跡でした。
① 伏見稲荷神社
伏見稲荷神社の創建は、711(和銅4)年で秦氏によるとの説明を聞く。稲荷山がご神体で山全体が神域、全国3万社ある稲荷社の総本社、名前の由来は稲作重視の農業信仰、大鳥居の上の黒色の覆いは神仏習合思想、祀られるきつねは田畑荒らす猪・鹿・鼬などの天敵だからとか、何度も伏見稲荷を訪れていても意外に知らないことばかり。平城京と同じ頃の時期に創建とは驚いた。大鳥居がなぜ赤いか。水銀化合物含む朱(赤色)が防腐剤の役目だから使われているとか聞いて大納得。ガイドブックにはない松浦さんの説明に引き込まれる。
② 東丸神社(あずままろじんじゃ)
江戸時代の国学者荷田春満(かだのあずままろ)が祀られている神社、横が生家跡。1669(寛文9)年に稲荷神社祀官の子に生まれ、国学の研究を深めた人物で、江戸に移って賀茂真淵など師と成る。儒学全盛時代に日本古来の古典・古学を重視した。京都にはのち古学の伊藤仁斎など学者が登場していく。
③ ぬりこべ地蔵
神社から少し離れた大門町の道端に祀られている石仏。小さいお堂の中に1mくらいの石仏があり、歯痛平癒祈願にご利益あるとか。堂内には祈願の全国からの葉書が確かにあった。丁度、虫歯予防デーの6月4日に供養があったとのこと。この近くには、六体のお地蔵さんがあった。喧噪の稲荷神社離れたところの素朴な赤い涎掛けの六地蔵があった。地蔵信仰は中世の室町時代から江戸時代に広まるが、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のどこにいても手を差し伸べ救済するのが六地蔵とのこと。
④ 石峰寺(五百羅漢石仏) 黄檗宗
黄檗宗の石峰寺(せきほうじ)は、近年伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の隠棲の地として知られた寺。寺号は百丈山。若冲が設計した釈迦の誕生から涅槃までの一代記の石仏が裏山にある寺で、若い住職が流暢に寺の由来を説明して、五百羅漢の設立された経過を語ってくれた。伊藤若冲フアンの方はすでに何度か来られていたかもしれない。五百余体の石仏をぐるりとまわってみると、裏山の傾斜地に野ざらしの石仏群がみられた。個人的にはもう少し、保存された方がよいかとも思った。伊藤若冲の墓と、江戸時代の著名な書家貫名海屋(ぬきなかいおく)の筆塚があった。若冲墓は「斗米庵若冲居士墓」とあり、彼が米一斗で絵一幅を描いて生活の糧にしたとの故事によるらしい。なお、毎年9月10日が若冲忌のため、9月4日から10日まで石峰寺が所蔵する若冲の作品が公開されるとのこと。
石峰寺から300メートルほどの所に日蓮宗の深草山宝塔寺がある。ここには寺の裏から入ると、見事な本堂と壮麗な多宝塔があった。とりわけ多宝塔は重要文化財指定で1439年は下らずとあり、室町時代の建築物。流麗な多宝塔で下層が方3間、上層が円形、下層屋根は行基葺きだった。多宝塔のやや南から桃山城が遠望できた。階段下りていくと、これも室町時代の建造の四脚門(重要文化財指定)であった。もともと、平安時代の藤原基経が発願した極楽寺であり899年に息子藤原時平が建立した由緒ある古刹だった。
⑥ 瑞光寺(元生庵) 日蓮宗
本堂が茅葺のめずらしい寺の瑞光寺。この時期は庭園の花との調和がなかったが、秋になると元政上人開祖の本堂の好さが見られたと想像できた。
⑦ 深草聖天(嘉祥寺) 天台宗
瑞光寺から町中の住宅地をしばらく歩いて、深草聖天に行く。この寺も元嘉祥寺の創建は古く851(嘉祥4)年で、第54代仁明天皇の時、清涼殿を移転したとのこと。ここにはガネーシャという象の顔と人間の体をもつ聖天象がご本尊。ガネ―シヤは、元はインドのヒンズー教の神だが、仏教の神として取り込んだので本尊になったとのことだった。
⑧ 深草12陵
深草には中世の鎌倉から戦国時代の天皇陵が多く、深草十二陵は深草北陵ともいわれ、12人の天皇の合葬地である。年代も鎌倉時代(3人)、南北朝時代(3人―北朝)、室町時代~戦国時代(6人)の天皇である。戦国時代の織田信長や豊臣秀吉と関わりのあった正親町天皇、後陽成天皇がここに埋葬されている、天皇家の権力と財力がもっともなかった時である。
⑨ 藤森神社
深草12陵墓から藤森神社へ歩く。途中に第2次世界大戦前まで深草には第16師団があったが、現在の聖母女学院の校内に一部建物があり、門外から見る。第16師団司令部は戦後京都学芸大学(19661年から京都教育大学)に敷地を譲っている。大学の西側横手に藤森神社があり、ここは春の藤棚と梅雨頃のアジサイで知られている。神社の各所には、神功皇后旗塚とか蒙古居兵首塚とか軍事かかわる伝承に関する記念碑が残っていた。
小雨もぱらつき出してきて、よい時間となってきたので、神社境内のアジサイ見物は自由観察ということで解散となった。 (文/木全清博)
京都から1時間余り、湖西線新快速に乗りマキノを目指します。車窓の右手に琵琶湖、そして、途中、堅田を過ぎる辺りから田植えが終わったばかりの水田の輝きと、刈入れ前の麦畑の黄色が混在していました。11時前に、マキノに到着。前日降り続いた雨が噓のような好天に恵まれました。晴れ、気温は最高23℃、北寄りの爽やかな風のもと参加者22名でスタートです。
バスでピックランドに到着しましたが、生憎、売店は定休日のようでした。しかし、逆に人出も少なく、日陰で思い思いに早めの昼食となりました。一面に目立った黄色い花は、高橋さんによるとブタナとの事。飼料として入った外来種だそうです。
12時過ぎからの、メインイベントのメタセコイア並木の散策は、快晴の下、マキノ高原に向けて、約3.5kmのウオーキングです。昭和56年(1981年)に、周辺の栗畑の防風林として、およそ500本が植えられ、平成6年(1994年)に新・日本街路樹100景に選ばれました。観光的には秋の紅葉(若干茶褐色ですが)がシーズンですが、むしろ、初夏の新緑の方が映えるようです。また、あちこちで、イボタノキの白い花が印象的でした。
マキノ高原に着くと、遠足の小学生達が楽しそうに川遊びをしていました。シニアの我々は、その声を聞きながらフリータイムをとり、各自、山の方の展望台に登ったり、ソフトクリームを食べたり、青空と爽やかな風を感じながら、ベンチで過ごしたりして三々五々ゆっくり出来ました。
再びバスに乗り、海津の街で下車し、琵琶湖畔を目指し約2.2kmのウオーキングです。海津は日本海から琵琶湖を経て京都・大坂に向かう湖上・陸上交通の結節点として賑わった所です。湖畔を歩きながら、波除けとして江戸期に作られた西浜の石積みや、ハシイタ、そして、漁協の古い倉庫などを観ました。報道によると、今年の琵琶湖の稚鮎は不漁だそうで、水温が高かったからだそうです。地球温暖化の影響でしょうか。
湖畔への小径にはコバンソウがたくさんありましたが、それより驚いたのは、筆者が高槻で駆除している、侵略的特定外来生物のナガエツルノゲイトウが水際のあちこちに繁殖している事です。これは、2018年9月の台風21号で、強い南風で南湖から北湖へ流れ着いたとされるものですが、まさか、自分の目で見るとはびっくりでした。早速、スマホで撮影し、滋賀県の担当責任者への連絡を依頼しました。実は、一昨日、岡山県で初めて、水田での繁殖が確認されたと報道されていましたが、稲の成長を阻害する作用がある事が新たに分かり、コメの収量が半減する恐れがあると関係者が訴求していました。

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閑話休題、その後、湖畔を西浜、高木浜の水泳場の砂浜を歩きましたが、周囲の山々からの川が流れ込む、奥琵琶湖の澄み切った水の美しさと、打ち寄せる波の音は心が安らぐものでした。浜辺で集合写真を撮影し、マキノ駅に戻り、予定通り15:47発の新快速で奥琵琶湖を後にしました。お世話役の讃良さん、中家さん、三輪さん、有難うございました。 (文/赤對)最新記事
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