京とおうみ自然文化クラブ

「京(みやこ)とおうみ自然文化クラブ」は、認定NPO法人シニア自然大学校の京都府・滋賀県の地方組織です。旧ブログは左下リンク集より閲覧できます。

研修会 5月14日(水)「季節の植物観察/初夏の樹木と花たち」の報告

 参加者:28名(会員26名・一般2名)、天候:晴晴時々曇、気温:28℃
 案内役:岡かおるさん・海老原緑さん。時間:10:00~12:30

 朝から温度が上がって初夏になったような暑さになり、参加者の皆さんの服装も軽やかになったように感じます。朝の挨拶後、2つのグループに分かれてスタート。私は海老原さんのグループに入りました。「京都植物園でしか見られない植物を紹介したいと思っています」と、ここで長年ボランティア活動されている方ならではの思い入れのある言葉ではじまりました。
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ジャーマンアイリスはカキツバタやアヤメに比べて花が大きくて華やかで、色とりどりの花を咲かせています。花弁の付け根にはブラシのような毛があるのが特徴だそうです。
アイスランドポピーは、ケシ科。種子が「芥子粒」と言われる意味を理解するために道端で雑草として生えているナガミヒナゲシを用意されて来られました。「種はどこから出てくるのでしょう?」疑問を投げかけられて、皆で観察。「この花の面白いのは、種子が熟すと鞘の上部の蓋が開いて茎をゆらゆらと揺らすとタネがいっぱい出てくるのです。」と言う答えに、「ものすごいメカニズム!」と感嘆し切りです。これでよく目にするオレンジ色のナガミヒナゲシが広がって増えているのがわかりました。
ボリジの青い星型の花は、ハーブティーや料理の飾りや砂糖漬けに利用されて食べることが出来ます。
アヤメの密腺のゲートにもなる模様でカキツバタやハナショブと見分けるのは図で説明してもらいました。
食草園ではユズの葉にイモムシ(アゲハの幼虫)を発見。幼虫は4,5回脱皮した後蛹になり、蝶になるという事ですが、先だっての岡さんの講座もありイモムシもすっかりお馴染みになりました。
カラスノエンドウはどこでも生えています。赤とピンクの花もまだ綺麗に咲いていますが、緑色のマメ(実)もついています。ここでも用意してくださったのは、真っ黒のマメです。カラスノエンドウの名前の由来は、このマメは季節が進むと黒くなってカラスを連想されることからだと言う事です。これも熟して黒くなると、簡単な振動で種を遠くまで飛ばすそうで、もう黒い莢が捻じれて中の種はありません。捻じれた形も面白いですが、このタネを飛ばす仕組みもすごい!
フタバアオイは、平安時代の装束を身にまとった人々が練り歩く葵祭にアオイの葉とカツラをと組み合わせた「葵桂」と呼ばれる飾りを祭りにかかわる人達が身につけたりすると言う事ですが、何年か前の研修会日とは重なったので、京都御所から下鴨神社を経由して上賀茂神社へと向かう途中の道のり、皆で見に行ったという話も交えて話されました。
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キツネアザミの花が咲いていました。この名前は花の姿がアザミに似ているが、アザミと違って葉は柔らかくトゲも無く、キツネにだまされた!ということからです。大川内が説明しました。
ヤクシマシャクナゲは、長楕円形の葉の裏側はビロード状の褐色の綿毛に覆われて葉の縁が裏側に丸まりやすいという特徴で、ホンシャクナゲは、葉の裏が灰白色で触った感じは少し毛が少ないという違いがありました。
ケイカ(瓊花)は、4月24日の「西大寺から唐招提寺を巡る」の例会に行かれた方は、白い花を楽しめたと思います。中国の高僧・鑑真和上の故郷である揚州を代表する花で、唐招提寺の開祖である鑑真とゆかりがあり、京都植物園には京都フラワーセンターから来たそうです。満開で圧倒されるくらいの迫力がありました。
コヤスノキはトベラの仲間で、ちょうど淡い黄色い花を咲かせています。なんの変哲もない植物に見えますが、じつはとても珍しい植物です。日本には兵庫県南西部から岡山県南東部にかけての山地にしか分布していないからで、牧野富太郎博士によって世界に発表されました。安産のお守りとすることもある「子安の木」だそうです。秋にどんな実をつけるのかが楽しみです。

 海老原さんの優しい口調の説明とタネの飛ばし方が理解できるようにと用意されたナガミヒナゲシとカラスノエンドウがとても印象に残りました。動けない、変化しない植物に見えても、実は生きていくための工夫をしているのだと言う事がわかって、自分もしっかり生きていこうという気持ちになりました。
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その他の植物:オオアブラギリバイカウツギアブラチャンハクウンボクミズキカワセミソウチョウジソウエゴノキハナイカダツクバネトキワマンサク

 午後からは希望者でバラ園を観て回りました。案内はバラに詳しく、また今年の京都府立植物園の薔薇コンテスト2部門で優勝された徳永さんに御願い致しました。バラ園は満開で見事でした。徳永さん優勝のバラの写真をご覧ください。徳永さんから、「薔薇コンテストで優勝できたのはマンションでは雨にも会わずに綺麗に出展できたからです」とのコメントがありました。   (文/大)

例会 4月24日(木)「西大寺から唐招提寺を巡る・・・瓊花が見頃」の報告

 近鉄大和西大寺駅前に会員42名と一般参加6名、計48名が10時に集合しました。駅改札口前は混雑していたため、西大寺門の東門前へ移動し、担当幹事である澤田会長の挨拶からスタートしました。案内役は当会会員である義田さん、上森さん、澤井さん、村上さんの4名です。これらの方々は、奈良の自然や歴史を案内するボランティア活動「ならなぎ」のメンバーでもあります。事前に配布された本日の案内地図をもとに、私は義田さんのグループに参加しました。天候は曇りのち晴れで、爽やかで気持ちのよい一日でした。

西大寺 真言律宗の総本山である「西大寺」は、大仏で有名な「東大寺」との対比で名付けられました。東門前にある石落(しゃくらく)神社について、西大寺中興の祖である叡尊が薬の製法を授かった石落神を祀っているとの説明を受けた後、境内に入りました。西大寺は奈良時代に建立され、南都七大寺の1つとして壮大な伽藍を誇っていましたが、一時衰退し、鎌倉時代に叡尊によって復興されました。四天堂、本堂東塔跡愛染堂などを巡り、南大門前にある御衣黄桜を鑑賞しました。この桜は、開花当初は薄緑色で、満開時には中心部がピンク色に変化する大変美しいものでした。
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菅原天満宮 菅原天満宮は、菅原の地を本拠とする土師氏支族(後の菅原氏)が祖神を祀ったのが始まりです。その後、南西の地に菅原寺(喜光寺)が創建されるとその鎮守社とされ、菅原神社と呼ばれるようになり、2002年に菅原天満宮と改称されました。
喜光寺(きこうじ) 奈良時代の創建当初は菅原寺と呼ばれていましたが、聖武天皇が参詣した際、本尊から放たれた光明を目にした天皇が歓喜し、「歓喜の光の寺」として喜光寺の名を賜ったそうです。
い号陪塚 垂仁天皇陵にある7つの陪塚のひとつで、直径約40メートルの大型円墳です。
垂仁天皇陵 全長約227メートルの規模を誇る前方後円墳です。築造時期は4世紀半ば頃と推定されています。墳丘の周濠内にある小島は陪塚で、「伝田道間守墓」として知られています。案内では、垂仁天皇にまつわる様々な伝承やエピソードについて解説がありました。田道間守(たじまもり)は、垂仁天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」、すなわちタチバナを求めて常世の国に派遣されましたが、帰国時にはすでに天皇が崩御していました。これを嘆き悲しんだ田道間守は天皇の陵前で殉死したとされています。「タチバナ」の語源は「田道間守」に由来するという説があるとのことです。

 昼食は御陵近くの公園で、持参したお弁当をいただきました。

唐招提寺 律宗の総本山である唐招提寺は、本尊が盧舎那仏であり、唐出身の僧である鑑真によって創立されました。南大門から入り、金堂、東室、礼堂(らいどう)、鼓楼、講堂、鐘楼、戒壇、本坊、開山堂、御影堂(みえいどう)前を巡り、鑑真和上御廟、宝蔵、経蔵と境内を一周しました。境内には国宝や重要文化財が数多くあり、とりわけ金堂は建物と堂内の仏像9体すべてが国宝という点で非常に印象的でした。個人的には、苔むした鑑真和上御廟の敷地内に入った際、その清々しく厳かな雰囲気に心が洗われるような感覚を覚えたことが最も心に残りました。

 今回の街歩きの副題にもある鑑真和上ゆかりの「瓊花」について、御影堂供華園(みかげどうくげえん)では開花前のため見られませんでしたが、薬草園や御廟では可憐な白い花を楽しむことができました。午後3時前に売店前で自由解散となりました。新宝蔵へ戻る方、門を出て薬師寺を訪れる方など、それぞれが思い思いの時間を過ごされたようです。
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 案内役の4名の皆さんには寺院や古墳について詳しい説明をしていただきましたが、ここですべてを記すことはできません。ありがとうございました。 (文/岸本恭彦)

5月~8月の行事予定

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予定表はクリックで大きく表示されます

雨天決行等の特記のない屋外行事は、前日21時前の
   NHK天気予報や、前日17時の気象庁ホームページ
   の天気予報で、行事
実施地域の午前中(気象庁ホーム
   ページは6~12時)の降水確率が
60%以上の場合、
   中止です。なお、
気象庁ホームページは当日の5時に
   更新されますが、その結果にかかわらず、前日17時
   の予報に従います。



研修会 4月17日(木)「季節の植物観察/春らんまん、色とりどり」の報告

 参加者: 会員27 名、実習生1名 合計28名
 案内役: 高橋、中林、新堀(敬称略)
            
 朝から晴れ  初夏のような陽気でした。まず「里桜」を観に行きました。
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 里桜は、約10種類の日本原種の桜を掛け合わせ人里で大切に育てられた桜です。
・薄黄色のうこんの桜は、突然変異による枝変わりでうこん色のやさしげな花を咲かせていた。
御衣黄は貴族の衣装から名を取り、淡い黄色の花弁に緑色の筋(葉緑体)が入っている。
普賢象は、象の牙の形をしたメシベを皆さん探しておられた。
関山は、花弁が25から50枚塩漬けにされ桜湯にされ親しまれている。
ボリジ(紫科)
  青い花は、料理の飾りや砂糖漬け、種からはオイルが取れ、蜜も多く人間にも虫にも重宝されている。花にも葉にも非常に毛が多く乾燥に強いそうだ。
アリストロキア(ウマノスズクサ科) 
 日本のウマノスズクサと同様虫を筒状の萼片に誘う仕組みを絵で説明。ジャコウアゲハが 卵を産みに来るのが楽しみである。
ミツガシワ(ミツガシワ科)
  氷河期の生き残りで天然記念物になっている。花を観る事が出来良かった。三出複葉の三ッ柏は、山内一豊の家紋に使われている。
・ツツジ(ツツジ科)
  紫外線に強く反応する密標を写真で見て頂いた。ヒカゲツツジホンシャクナゲ(日本)観察して味わった。
フタバアオイ(ウマノスズクサ科)
  葉をめくり、下を向いた不思議な形の花を観る。地味な花だが、葉は上賀茂下鴨神社の紋様。
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ウラシマソウ(サトイモ科)
  棒のような付属体の先から伸びる釣り糸について神戸大学での実験結果によるとキノコハエを呼び寄せる役割があったそうだ。マムシグサ、(サトイモ科) などの性転換を写真で説明した。
ナベワリ(ビャクブ科) 
 舐めたら舌が割れるほど猛毒。中国から薬草として入ってきたそうだ。  
イカリソウ(メギ科)  
 茎の先は3っ枝に分かれ葉をつける。花弁4枚の先には、蜜がある距が突き出される。長い口吻を持つハチやアブの仲間が、イカリソウの蜜を吸っている写真を見る。強壮剤として有名。
エビネ(ラン科) 
 名前の由来はエビ状に連なった鱗茎による。ランの仲間は花粉を「花粉塊」として作る事が多い。花に潜り込んだハナバチの頭に花粉塊が付いた写真を見る。ランの仲間の種子は非常に小さく自力で発芽できない。そのため、ラン菌を種子の中に取り込み、炭素類や窒素源などを一方的に頂きながら 芽や葉や根を出していく。
ラショウモンカズラ(シソ科) 
 恐ろしい鬼に髪を掴まれた渡辺綱が、ごつごつしい鬼の腕を切っている浮世絵を見る。(能や歌舞伎の演目にあり) 花の毛深いところを近くで観察。
オドリコソウ(シソ科) 
 上唇の花弁が踊り子の笠、二つに裂けた下唇が踊り子の手、花のつけ根には蜜がたまり、子供が喜ぶ。
コクサギ(ミカン科)  
 横枝の葉は、左右2枚ずつセットに並ぶ。葉を少し触るだけで、くさい。油点から出る香りは、虫にとって厭な成分だが、カラスアゲハの雌は、前足で確かめて卵を生む。
ヤマシャクヤク(ボタン科) 
  花が咲くまで5から6年かかるそうだが、塊根を持っている。シャクヤク似の花の命は短く3から4日。
リキュウバイ(バラ科) 
 千利休の命日4月21日頃に咲き、真っ白で上品な花が 茶花 として人気あり。明治時代末   中国から入ってきた。果実は、独特の星形である。   (文/新堀裕子)
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「第22回総会と三十三間堂界隈散策」の報告

第22回総会報告
 当クラブの新年度(令和7年・2025年度)の総会が「ひと・まち交流館」3階第5会議室で10時30分から行われました。出席者は会員46名で会長委任の欠席者90名を合わせると過半数を超えましたので総会は成立しました。なお、新入会員17名のうち7名が出席でした。
 総会開始までの時間で井上さん(広報)が作成されたスライドショーで昨年度の活動を紹介しました。昨年度の活動が思い出されました。
 総会は、木全さんの司会で始まり、議長に澤田勉さんを選出し議事が進められました。澤田会長の挨拶では今年度は17人が入会されたこと、会員数は昨年度よりも2人多い156人になったとの報告がありました。
 次に赤對さん(事務局)から令和6年度の活動報告がありました。年間の32件の行事に延べ1037名の参加、1行事当たりの参加者は平均32.4名でした。ちなみに令和5年度は34件の行事に1024名で1行事当たりの参加者は30.1名でした。
 続けて、志津南小の教職OBの岡本さんから、昨年11月に実施した「りょうぶの道」観察会で、児童に身近に落ちている木(クスノキ)の枝を用いてどういう風に興味をもたせていくかをわかりやすく説明していただき、児童100名に対して参加者が少なく児童たちの後ろでいいのでサポーターとして参加してほしいとの依頼がありました。参加した児童は興味を持った植物のパンフレットを作ってこんな植物が近くにあることを知ってもらうために近隣の家に配る活動をしたとのことでした。
 次いで会計・中林さんから会計報告、監事・海老原さんの監査報告があり、先の赤對さんの活動報告と合わせて承認されました。
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 次に提案事項に入り、澤田会長から今年度の役員体制案の提案があり承認されましたので19名の新役員紹介のあと活動方針が述べられました。続いて、新事務局に就任した三輪から今年度の行事計画案、中林さんからは予算案が示されましたが、出席者からの質問や意見はなく承認され、総会は滞りなく11時15分頃に終了しました。
 その後、出席されていた新入会員7名からひと言挨拶をいただき、澤田会長から平成17年度から今年度までの役員(役付き幹事)の推移を紹介され、最後に事務局を退任された赤對さんからこれまでの流れとこれからも京とおうみを応援してほしいとの話がありました。長く事務局を務められお疲れ様でした。

三十三間堂界隈散策報告
 昼食のあとの三十三間堂界隈の散策は自由参加でしたが35名の参加がありました。
 交流館を出ると晴天で涼しく歩くにはいい天気でした。12時に出発して高瀬川沿いを下り正面通りにでました。正面通りを西に正面橋を渡っていくと正面に秀吉を祀った豊国神社の鳥居が見え右手に耳塚(鼻塚)がありました。耳塚は秀吉の慶長の役で殺した人の耳や鼻を持ち帰ったがその人々を供養するための塚です。豊国神社の鳥居をくぐると新天皇即位時に修復された秀吉像や伏見城から移設された国宝である唐門がありました。境内はほとんど人がいなくて静かでした。隣接して方広寺鐘楼があり、大坂の陣の契機となった「国家安泰、君臣豊楽」の入った鐘銘文を刻んだ梵鐘がありましたが刻まれた文字は小さくてよく見えませんでした。北に行くと方広寺大仏殿跡が公園となっていました。
 豊国神社に戻り、鳥居をでて大和大路通りを方広寺大仏殿の大きい石垣沿いに下ると左手に京都国立博物館の正門が見え、その南に三十三間堂(蓮華王院)がありました。
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 三十三間堂には33名が参拝しました。千体の千手観音立像は圧巻、また東庭池和泉回遊式庭園を見て進むと江戸時代に通し矢が行われていた本堂の西側を見ることができ、その長さに改めて驚きました。40分の拝観では少し短かったと感じました。
 法住寺を拝観し、南大門をでて東大路通りを下って新熊野神社に参拝しました。新熊野を「いまくまの」と呼びますがこれは紀州の古い熊野に対する京の今の熊野という認識が由来となっています。影向の大樟(ようごうのおおくすのき)があり、樹齢900年と推定されています。また、本殿の裏には京の熊野古道として熊野十二所権現が祀られていました。
 ここから東大路通りを上って智積院に着いて解散しました。
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 総会の準備・運営していただいた幹事の皆さん、さらに午後の散策を案内していただいた澤田会長ありがとうございました。               (文/三輪)